たりたの日記
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子どもの成長に伴って我が家の恒例のクリスマスが形を変えてくる。去年から今年ともう恒例が恒例ではなくなってきている。 そのうちすっかり無くなってしまうのだろうから我が家のクリスマスをアルバム代わりにここに残しておいてもいいだろう。
まずはアドベントに入ると同時にクリスマスツリーを飾る。オーナメントは手作りのものだったりいただいたものだったり、また年ごとの家族写真や友人家族の写真だったりとひとつひとつが思い出深いものだ。一番古いものでは私の独身時代、小学校で教えていた頃、生徒がお別れに作ってくれたフェルトの飾りものがある。アメリカに住んでいたころにおとなりのおばさんからいただいたものや教会のファミリーの集まりで作ったものもなつかしいオーナメントのひとつだ。
ドアには緑のリースに赤いリボンを巻いたものを飾る。以前はどこからかひばをもらってきて生のものを作っていたがここ数年間は同じ作りもののリースにしている。 今は庭に月桂樹やローズマリーの枝があるからもらわなくても作れるというのに。 後はヨセフとマリアと飼い葉桶の中の赤ちゃんのイエスの置きもの。これはペルーかどこかの素朴なテラコッタだ。団地で文庫をやっていたころ文庫仲間のOさんが 「ここにあるのがふさわしいものを見つけたから」と下さった。その人形のそばにろうそくを置き、部屋が暗くなると火をともした。
送られてきたクリスマスカードが次第に増えていく。ツリーの下にはプレゼントの箱がひとつ、またひとつと増えていく。送られてきたり、いただいたりしたプレゼントもまた家族がそれぞれに用意したプレゼントもきれいにラッピングし、25日の朝までは開けないでツリーの下に積まれている。 24日の夜は家族そろって教会のキャンドルライトサービスに出て帰りにレストランで食事をする。 25日の朝はみんなパジャマのままツリーの回りに座りこみ、ひとつづつプレゼントを開いていくのである。いただいたお茶やお菓子、用意していたフルーツケーキなどを朝食にいただき、夜はクリスマスのテーブルセッティングをし、とっておきの皿に料理を盛る。お客を招いたこともあった。
ほとんど毎年同じように過ごしてきたクリスマスが今年は様子が違っていた。ツリーや飾りものを箱から出さないままだったこともあるが、24日は長男が別行動で、今日はクリスマスのディナーにも間に合わないと電話があり、次男は今朝早くからバスケット部の合宿へ行った。 私は夫子どもたち、友人や兄弟からもらったプレゼントをテーブルの上に並べ、いただいたクリスマスのCDを聞きながら、チョコレートの缶やクッキーの缶を一人占めにして贅沢なひとりのクリスマスをすごすという具合だった。家族の形がちょうど変わる時になったのだろう。それはそれでいい。別の過ごし方楽しみ方を見つけるまでだ。 明日、明後日と夫と2人で箱根に出かける。会社の保養所を利用するのは初めてのことだ。夫は勤続20周年の休みがもらえたので少し早く年末年始の休みが取れた。 来年のクリスマスはどんな具合になっているだろう。子ども達といっしょに過ごせないのであれば、年寄りだけで暮している親のところへ帰省するか、こちらへ来てもらっていっしょにすごすのはどうだろうなどと来年のことを早々と考えている。
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