たりたの日記
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クリスマスイブの朝、頭が痛い。風邪をひいたのかな。今日は入院している伯父のお見舞いに世田谷まで行き、そのまま教会へ行キャンドルサービスの準備をする予定だった。でもここで都内まで出かけると夜まで身体が持たない。またここでダウンすることになっては年末の諸行事にも支障をきたす。昨日の反省もあり、今日はマルタをやめてマリアに徹することに決めた。子ども達を送り出し、洗濯と掃除をざっと済ませると、ノニジュース、生姜とカボスとはちみつを熱いお湯に入れた特製風薬を飲み、念のため風邪薬も飲んで聖書とバッスーラの「神のうちの真のいのち」の3巻を持ってベッドに潜り込む。ベッドの中でイエスの言葉を聞くというのは不謹慎のような気もするが何にも煩わされることなく集中するのにはこの方法が一番いい。電話も来客も無私させていただくのだ。そういうわけで私は風邪をひくというプレゼントのお陰でマリアに徹してイエスの言葉に浸るという最高にクリスマスらしい日を過ごすことができた。
いつのまにか風邪も退散し、すっかり気分が良くなった。「ちいさな声」のメーリングリストのメンバーの坂東さんに送っていただいていた中村哲医師が語るNHKの「心の時代」のビデオを見る。何度も見たい聞きたい言葉とその人の持つエネルギーがそこにはある。中村医師にこのように力をいただく人は多いことだろう。宗教を超えて彼の内にある真実に多くの人が反応する。中村医師がアフガニスタンの山奥に新たな診療所を開設するにあたってその土地の長老たちと話し合い、彼らのイスラム教の儀式にのっとり診療所の建設のための祈りを奉げる場面があった。彼はクリスチャンである。その彼がイスラム教の人たちの中で彼らの宗教や生き方に敬意を払っている。自分の宗教や価値観を押し付けることなくその人たちを愛している。アフガニスタンの人達と同じように手を挙げている中村医師の背後にイエスを見る想いがした。込み上げてくるものがあった。
今日読んだヴァッスーラにイエスが与えた預言の中にこのような個所があり衝撃を受けたがそれがビデオの場面となぜか重なる。その預言はこのようなものだ。 イエスを知っているとする者たち、イエス自身の者たちであると考えているクリスチャンが実は最もイエスから遠いということを漠然と感じてきたが、そのことをイエスがはっきり指摘している言葉に出会うと虚構がガラガラと音を立てて壊れ、そこに残った真実だけが残されるというはっきりとしたイメージを描くことができる。何が偽りであり、何が真実であるかは神の目にのみ明らかである。
「ああ ヴァッスーラ、、、、同情と深い憐れみにより、注意を与え 死から救いだそうと、私はやって来た。私自身の者たちに あなたを遣わしたが、彼らは私の声を殺してしまった、明るみに出て、己の非が露になるのを恐れて。私の声を押し殺し、真理の霊を迎え入れないので、私は彼らの罪を よそ者たちによって暴かせる。あなた方の家の屋根の上で ラッパのように我が声を響かせよう、、、、私のことを全く知らない よそ者たちによって わたしは受け入れられた。戸を叩くと 中に入れてくれた。貧しいながら彼らの糧を分かち合い、その貧しさゆえに、わたしを探し求めてはいなかったが、それでいて、私を見出した。(中略)、、、、私の声は よそ者に運ばれて行く、そのこだまを聞いたなら 私から発せられたと知るように。私を求めたことのない よそ者によって 私は高められ、それまで私を知らなかった人々から 栄光を受ける、そして私は彼らの師となり 教えを説く、彼らの欠点を私は消し去り、道理を説き、彼らは私を理解するであろう。」 (神のうちの真のいのち�� /天使館出版 03−5465−1007)
日も暮れて夫が宮崎から戻ってくる。長男は自分の大学の教会のミサに行くといって出かけた。カトリックのミサは初めての体験だ。彼は彼で導かれるものがあるのだろう。次男と夫と私の3人でキャンドルライトサービスに出かける。お茶の用意をし、ケーキを切って準備をする。昼間とは違った静謐な空気が漂っている。馴染みのクリスマスの讃美歌を多くの人と声を合わせて歌うことの喜びがある。夫と私の間に私たちよりうんと大きい息子がはさまっている。隣の席には今年から私の生徒になった一年生のS君がお父さんとお母さんに挟まれて神妙に座っている。私が初めてキャンドルサービスに参加した8歳の時のクリスマスイブを思い出す。父に連れられて出かけた。父も私も初めてのことだった。真っ暗な礼拝堂の中でろうそくの光が美しかった。燃えているキャンドルを用心深く手に持ちながら讃美歌を歌い、教会学校で練習したとおりに聖書の暗唱もした。あの時ひとりで暗唱した個所は今でも空で言うことができる。前の席にはTさんが連れていらした職場の同僚という方が初めて教会の礼拝に出席されていた。いつも隣の机で仕事をしているTさんの歌う讃美歌をどのように聞かれてたことだろう。こうしてイエスは外の人をご自分のところへと招かれる。
最後は皆が帰った後、後始末をする。誰かがマルタの役を引き受けなければならないことも確かだ。今夜は教会を出るまでイエスが傍らにいて「ご苦労様」と言ってくれている気がした。教会の帰り、レストランに立ち寄り3人で遅い食事をいただく。良いクリスマスイブの時だった。
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