たりたの日記
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私が初めてキャロリングに参加したのは小学校5年生の時だった。参加は中学生からということだったがどういうわけか、同級生のチイちゃんと私はその年のキャロリングの参加を許されたのだった。夕方家に中学生のお姉さんや高校生のお兄さんが向えに来てくれた。そもそも日ごろ弟たちを引き連れて長女をやっている私にとって年齢が上の人達というのはそれだけで魅力的だった。妹分でいられるというのはずいぶん気持ちのよいことだった。
さて当時、私の行っている教会ではメソジスト教会の伝統だったのか、キャロリングは深夜の12時に教会を出発し、信徒の家や警察署、消防署、郵便局、老人ホームなどの施設を回り、夜明け前に教会に戻り最後に牧師館で歌うという具合だった。早朝の礼拝堂にはだるまストーブが勢い良く燃えていて、暖かいお汁こなどが用意されている。そうこうしている内に人が集まり午前6時から早朝礼拝が始まるのだ。イエスが深夜馬屋で生まれ、そのことを天使から告げられた羊飼いは山を下り、ベツレヘムの馬小屋を目指して歩いていった。その羊飼いのように夜更けの道をイエスに会うために歩くということをクリスマスの度に再現してきたのだろうか。
小さい頃から参加するのを待ち焦がれていたキャロリング、私は行く先々で大きく口を開け精一杯大きな声で歌った。一晩中冷たい空気を喉に通したためかあるいは歌いすぎて声帯を痛めたせいか明け方教会に戻ってきた時にはうんともすんとも声が出なくなっていた。同級生のチイちゃんは途中で疲れたからと自宅の近くに来た時そのまま家に帰ってしまっていた。私はこんなに楽しいのにどうして帰るんだろうと不思議に思ったがチイちゃんの判断は正しかった。私はクリスマスの夜の祝会の劇でマリアの役をやることになっていたのに、夕方になっても声が出ないのでチイちゃんに代わってもらうことになった。せっかく練習していた劇に出られないことと、本番でキャロルが歌えないことが残念でしかたなく口だけパクパク動かしながら涙が出そうになったのを覚えている。
その時のキャロルから故郷を離れる24歳の時まで毎年クリスマスイブにはキャロリングに参加した。高校の時や大学の時はその頃親しくしていたクラスメートや友人、あるいはボーイフレンドを誘って参加した。夫も結婚する前だったが2回ほどキャロリングに参加している。あの時は同じ大学に通うSさんもボーイフレンドを連れてきていた。深夜にスタートして明け方までというハードなキャロリングは私が始めて参加した翌年からは時間が変更され、午後7時に出発して深夜の12時まで回り、その後教会に泊って早朝礼拝に参加するという形に変わっていたが、キャロリングの後、お菓子や飲み物を囲んでのだべりんぐも楽しかった。
楽しい行事ではあるもののしんしんと冷え込む冬の夜、何時間も歌いながら歩くというのはそう簡単なことではない。いつも歩き始める時、最後まで歌えるかな、身体は大丈夫かなと不安が過るし、実際終わり近くにはかなりへとへとになるのだが、小さい頃、私の家にキャロリングに来てくださった人達が笑顔で「クリスマスおめでとう!」といってくださったことが思い出され、しっかり声を出さなければ、喜びを伝えなければという気持ちにさせられた。また暗い道を歩きながら、ろうそくの炎のぼんやりしたあたたかさを感じながら、一年間の過ぎた日々を回想する大切な時でもあった。こんなに長い時間星の明かりに照らされて歩くことはこの時を置いて他にない。キャロリングを続けた13年間、私は想像以上に大きなものをいただいてきたような気がする。
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