たりたの日記
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2001年12月04日(火) |
外国の方々との関わりの中で |
今日は、英語学校に子ども達を通わせているお母さん方からランチのお誘いがあり、久ラスの前に近くのパスタのお店に行く。その中に8年ほど前に上海から日本に来て暮すようになった中国人のEさんがいる。小学校一年生のS君は中国人のご両親を持つ日本生まれの少年だ。ゆくゆくは中国に帰ることになるので中国語も教えなければならないけれど、なかなか思うようにいかないという。 彼女はアクセントから外国人ということは分かっても、日本人の井戸端会議には普通に入ってこれるし、言い回しに苦労しながらも自分の考えや中国ではこうだという事を臆することなく話そうとする。特に積極的なタイプとも見受けられない。臆することなく相手とは異なる自分の考えを口にするのは国民性なのかなあと思う。
そういえば、ニュージャージーにいた頃長男の同級生に台湾から来たばかりの女の子がいてその子のお母さんのマリッタと随分親しくなったのだが、アメリカに来たばかりの頃はほとんど英語をはなせず、学校でも英語はあまり勉強しなかったということだったが、みるみるうちに上達して、その町の郵便配達の資格を手に入れるまでになった。同じカレッジに通っていたが、文法などの知識がないので全くの初歩久ラスにいるのだが、とにかく臆さずに誰とでも話すし、どうも白人コンプレックスのようなものもないようだった。彼女と話しをするとお互いに下手な英語をまくしたてながらの議論となった。私についてまた日本人やアメリカ人についてもずばずば批判ずる。私もカッカとなって応答する。側に誰かいたらそれは随分こっけいな様子だったかもしれない。彼女は今は中国系アメリカ人として仕事もこなし、社会的な責任も引き受けて逞しく生きていることだろう。
今日の3時からの幼児とお母さんのための英語久ラスには2年前に韓国からいらしたkちゃんとお母さんのUさんが参加するようになった。2年間でよくここまでと思うほど、日本語にも日本の社会にも溶け込んでいる。そして同じアジア人の顔をしながらやはり日本人とは違ったスピリットを感じる。その受ける印象はやはりこれまでに出会ったアメリカで暮す韓国の女性たちのパワフルな印象とだぶる。キャンパスのカフェテリアで韓国人のクリスチャンの女性と議論した時、彼女のパワーで私の内にすっかりねむりこんでいるものが目覚めさせられたような印象だった。負けずと主張しながらずいぶんエキサイティングな時間だった。人目を気にしないおおらかさや逞しさは日本人からすると違和感を持たれる類のものなのだろうが、そして実際韓国や中国の女性と付き合う日本人は少数派だったが、私は自分の本来の気質ととても相性が良く、いつでも彼女たちと話しをする時、なんともいえない小気味よさを感じていた。
明日の2時からの久ラスにはカンボジア人で日本人と結婚し、日本のお嫁さんをやっているBさんが来る。カンボジアの方との接触は初めてで、中国や韓国の方ともちがった民族性があるように思う。優しく控えめでそれでいてまっすぐな強い眼差しを持っている。子どもの中には見ることができるこの眼差しは私も含め大方の日本人にはないものだ。カンボジアのことなどいろいろ話しを聞きたいと思う。
そういえば、先週の礼拝にはバングラデシュからいらしたご夫婦が出席されていた。バングラデシュでキリスト教の布教活動をして国を追われたと伺ったが一目で伝道者と感じるオーラがあった。この教会に必要なものをもたらしてくださる人達なのかもしれないと思った。
ハンバーガーショップで隣あわせたトルコ人の若者との会話もその人柄もわずかな時間の接触だったにもかかわらず心が触れる場面があった。たまたま隣の席でハンバーガーをかじっている人と印象に残る話しをしたり、まして心が触れ合う体験をするなどちょっと考えられないのだが、外国人との間にはそういう出会いが起こることをいつも不思議に思う。彼らがオープンだからだろうか、私が外国人に対してはオープンになれるからだろうか。
私たちが「こういうものだ」とみなしている日本人特有の人と人との接触の仕方はしかし、昔とはまた違ってきているはずだ。どこか自然な人間性から離れた不自然な関係を私たちは身に付けてしまっているのではないだろうか。そこにある冷えた関係、閉ざされた関係、それはそれで煩わしくなく私自身それほどいやじゃない。いえその中に居心地のよささえ感じているような気がする。でもそういう関係が良い社会を築けるかと考えると疑問が生じる。そこには人と人とが接触することでぶつかり合うことで生起するダイナミックな関係はのぞめないから。
私たちが失っているなにか大切なものを外国の方々とのかかわりの中で知らされる今日この頃である。
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