たりたの日記
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2001年10月31日(水) |
“霊性”(スピリチュアリティ)を育む |
今朝、龍村仁事務所から、地球交響曲第4番の企画意図の転載の許可をいただいた。読む度に胸を打つ。 どの文も意味深くすっかり覚えてしまいたいくらいだが、最後の 「子どもたちの“霊性”を育むのは、映画そのものではなく、子どもたちの日常に直接触れている大人たちの中の“霊性”であるからです。」 という言葉は何か私の日常を変えるほどのインパクトを持つ。なぜ子どもたちとかかわりたいと思ってきたのか、今接する子どもたちと私はなにを共有したいと思っているのか、漠然としていたものがくっきりとした輪郭を伴って見えてきたからだ。 私自身が大人たちの”霊性”によって育まれたように、私は子どもたちに”霊性”を育みたいと願ってきたことを知る。
今日も子どもたちの前に立つのだと思い、背筋がぴりっとする。
<転載>
21世紀に生まれ育つ子どもたちのために 映画監督 龍村仁
21世紀は、人類のあらゆる営みの基盤にやわらかな“霊性”(スピリチュアリティ)が求められる時代になって来ると思います。教育、文化、芸術の分野ではもちろんのこと、従来は“霊性”とは縁遠いと思われていた政治、経済、科学などの分野でも、それが最重要な課題になってくると思うのです。なぜなら、“霊性”を持たない人類の営みが、我々人類だけでなく、この地球の全生命の未来を危うくしていることに、もう誰もが気づき始めているからです。
“霊性”とは、私たちひとりひとりが、日々の何気ない営みの中で、 「自分は、母なる星地球(ガイア)の大きな生命の一部分として、今ここに生かされている。」ということを、リアルに実感できる、その力のことをいうのです。
自分の内なる“霊性”に目覚めることによって、人は謙虚になります。 日々の出来事に対して、感謝の気持ちを持って対処できるようになります。 自分以外の生命のことを、本気で考え、行動し、祈る、ことができるようになります。 遠い未来を想い、遙かな過去を感じる力だって増してくるでしょう。 見えないものを見る力、聴こえない音を聴く力だって甦ってくるかもしれません。そしてそのことが、結局、自分自身を最も幸せにするのだ、ということに気づき始めるのです。内なる”霊性”に目覚めるのに、必ずしも旧来の宗教が必要だとは思いません。
21世紀に生まれ、育つ子どもたちにとって、“霊性”に目覚める道は無限にあります。科学、芸術、スポーツ、教育、経済、政治・・・・、 100人の人がいれば、100通りの道がある、というのがこれからの時代でしょう。
ただ、確認しておかなければならない大切なことが、いくつがあると思います。まず第一は、「全ての人の中に“霊性”の芽が必ずある」ということへの揺るぎない信頼です。この信頼があってこそ、“霊性”に目覚める無限の道が開けるのです。
そしてもう一つは、「この“霊性”の芽は、育まなければ開花しない」ということです。“霊性”と“自我”は同じ力の裏と表です。人間に与えられた最大の特性です。放っておけば「自分さえ幸せであればよい」という方向に向かう力です。だからこそ、“育む”ことが必要なのです。 ただ、その為に簡単なマニュアルはないでしょう。 なぜなら、“霊性”は究極的には、ひとりひとりが、自分自身の力で、自分自身のやり方で開花させてゆくものだからです。
だとすれば、21世紀に生まれ育つ子どもたちのために、今の私たちに何ができるでしょうか。私は「地球交響 曲」という映画を通して、世界の何人かの人々の生き方、考え方を提示し続けたいと思っています。
彼らの生き様が、子どもたちの“霊性”を育むのに役立つか否かはわかりません。 ただ、「子どもたちの中に必ず存在する、内なる”霊性”を激励する」という強い想いを持って、この映画を作り続けます。必ずしも、直接子どもたちに語りかける、という手法はとりません。 なぜなら、子どもたちの“霊性”を育むのは、映画そのものではなく、子どもたちの日常に直接触れている大人たちの中の“霊性”であるからです。
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