たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2001年10月25日(木) 交際開始記念日

10月26日、晴れ。
ビョークのヴェスパタインを聞いている。
コーヒー、今朝のは特別。昨日、スーパーの隣のコーヒー屋さんで手に入れた
100g400円の上等。いっしょにヨガをやっているMさんのお店。素敵な陶器や乾燥ハーブも置いてある素敵なお店。割れてしまった私の気に入りの茶わんと同じものがあるかもしれないと久し振りに訪ねる。茶わんはテーブルに置いてあったのを上の息子が床に落っことしたのだ。「私の気に入りの茶わんを勝手に使ってよくも割ってくれたわね。弁償してちょうだい!」と一応はすごむ。彼が動くとそれに伴って、物が壊れる事がしばしば起る。しかし、これはおそらく私の遺伝子。彼も薄々そのことに気が付いているから私が叱ってもあまり効き目はない。私のこと、おとおいの朝、トースターのコードを足にひっかけてしまった。トースターは中に焼きかけのパンを入れたまた派手に床に落っこち、とうとう壊れてしまった。これまでに少なくとも5回は落っことされているから、いよいよということになったのだ。ごめんなさい、トースター。家族はまだこのことに気が付いていない。

話しをコーヒー屋さんに戻そう。果たして気に入りのお茶碗はひとつだけあった。この店は茶わんや皿、コーヒーカップなど、日本各地の焼き物を集めているので、セットではなく、ほとんど一点かせいぜいペアでしか売っていない。
この前来た時に素敵ながらとかたちの夫婦ちゃわんがあって求めたのだった。男の茶碗の方が大きい夫婦○○は本来好きじゃない。色は違ってもサイズは同じであってほしい。だいたい私の方がいっぱい食べるのだし。しかし、このおちゃわんは大きさに格差があっても欲しいと思えるほど気に入った。だから、店先に割れた方の茶碗がひとつだけ残っていたのはラッキーだった。きっとどこかのお宅では男用の茶碗が割れて片割れは買われていったのだろう。これで、もとどうりの揃いの茶碗になった。お茶碗を見ている間にMさんはコーヒーを入れてくださった。いい香り、いい味。いつも安物の豆に2倍はお湯を注いで入れる我が家のコーヒーとはやっぱり違う。100gだけ挽いてもらった。昨日はせっかくの上等コーヒーなのに、いつもの癖でお湯をたくさん注ぎすぎ、薄いコーヒーになってしまったが、今朝はお湯の量も加減しておいしいコーヒーを飲んでいる。

昨夜はmGがいつものより上等のワインとカマンベールチーズを買ってきた。給料日だからというのではない。我々の記念日なのだ。といっても結婚記念日ではない。交際開始記念日。
25年前。大学の近くの間借。いつものようにレコードとか本とかを抱えて「話し」に来たmGはその日はどうしたきっかけからかスケッチブックに鉛筆で私を描いていた。彼は工学部、美術専攻ではないが自分のデッサンや写真にかなり自信を持っていた。タイタニックのワンシーンみたいだが、そんなロマンチックなもんではなく私は服も着ていた。2人でいるとほとんど喧嘩のような討論を明け方までするような間柄だった。夜じゅう明かりがついている私の部屋の窓を見上げながら、我々の仲間はまたあの2人が「討論」しているとあきれていたらしい。
私はすることもなくデッサンをしているmGを眺めていた。言い負かされる時の憎たらしい顔はそこになくて、なんともピュアな目をして対象を見ていた。対象は私のはずだが、「私」ではなく、私の外側の皮を真剣に見ながら鉛筆を動かしている。変な気分だった。私の皮ではなくて、「私」を見てほしいとその時ふっと思った。そう思った瞬間、何か霧のようなものが晴れて、ここにいる人間は私にとって特別な人間だという気がした。恋は盲目というが、そういう意味では恋ではなかった。そこに起ったのは覚醒だったから。何かが見えたのである。私はその発見を確かめるべく、天井の左上の方をちょっと見て、「ねえ、そう?間違いない?この子?」と聞いたのだった。思ったとうりそこには応援団がいてかなり熱っぽく「そうだ、そうだ、」「イケー、ソレー」と私をそそのかしているのである。天使達を見たことはなかった。話しをしたこともない。それなのに、なぜそこにいると感じて話しかけたのか全く不思議だが、あの時そこに応援団の天使たちがいたことを私は今でも疑っていない。あの応援がなかったら私はあの「ひとこと」を言うことはなかったに違いない。

コーヒーの最後の一口。上等なコーヒーは冷めてもおいしい。CDの最後の歌もちょうど終わった。贅沢な朝の時間はおしまい。日常に戻るとしよう。




たりたくみ |MAILHomePage

My追加