たりたの日記
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昨日の雨が嘘のような秋晴れの朝。 自転車をとばしヨガへ。 ヨガの始まる10時までの間、発声練習や歌の練習をすることにしている。 私が習った発声練習はまともにやると、気が触れたのではないかと案じられるほど、えぐい音を出したり、舌をれろれろと力を抜いて声を出したりというもので、家では御近所迷惑が気になりなかなかやれない。 また広い空間で声を出すと声が良く見える感じがする。何より大きな声を思いきり出すのは心にも体にも良いような気がする。 ヨガは足のマッサージに始まり、呼吸方、瞑想、ストレッチ、柔軟、さまざまな要素があるが、すべては気が出入りするチャクラを開き、鍛えるのが目的だ。 はじめて、チャクラのことを知ったのは実はヨガではなく、イギリスから来た スピリチャルヒ−リングのワークショップでだったが。なるほどと思ったのである。様々な感情も、体のレベルでの病気も気の流れの影響を受けており、気が出入りする入り口であるチャクラがふさがっていたり、痛んだりしていたのでは健康な心も体も望めないという理屈に私はストンと落ち着いた。 キリスト教徒なのに、ヨガとは何ごとかと言う人もいるだろうが、私の中では矛盾はない。 祈りというのは自分の奥深くへ沈み、神と出会うことだと思うが、その時、チャクラは開いているのだと思う。瞑想もそうだ。いくつもの心の層を過ぎると開かれた空間のようなところに魂が誘われる。深々とした至福の感覚が起る。 美しい音楽を聞いたり、心に沁み入る言葉を聞いたり、また歌ったりする時もチャクラが開くのだと思う。 ちょうど、体がブドウ糖でエネルギーを得るように、祈りや瞑想、芸術は魂を養うエネルギーとして開いたチャクラから体の中に入ってくるのだろう。
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