たりたの日記
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2001年10月07日(日) お返し

小学校2年生の秋から教会学校に通うようになって以来、日曜日は教会に行く。このごろは教会の役員や、英語学校の仕事もあるので、土曜日の夜の集まりや、日曜日の午後のミーティングなどで、土、日とも、また日曜日の朝から夕方まで教会ですごすことがめっきり多くなった。

しかし、これは本意ではない。私にとって教会は礼拝に出られればそれで良い。いっしょに飲んだり食べたりなどしなくても一向に構わない。ところが、教会は礼拝するところとは別にひとつの社会である。ひとつの家庭といっても良いかもしれない。社会の役割を担ったり、家族の構成メンバーの為に尽くすというのは私の不得意とするところで、世話をやくのもやかれるのも苦手、一人で気ままにやるのが好きな我が儘者である私でも、どうにかこうにか母の役割や地域住民の責任は果たそうとするように教会の仕事もやらなくてはと思う。
めんどくさいと思いながらも教会の仕事をするのは、めんどくさいと思いながら、家事や家族の世話をするのと似ている。そこに私を必要としている人間がいるという点と、子どものころ世話をしてもらった、面倒を見てもらったことへのお返しという二つの点において。

教会学校に通い始めたころ、月謝もとらず聖書の勉強をさせてくれ、遠足に連れていってくれたり、クリスマスには食事や、プレゼントまでくれることに母は戸惑いを覚えていたようだった。何につけ、お礼をしなければ気がすまない母、一方的に世話になるということがひどく居心地の悪い母は、どこの子でも受け入れ、ただで教え、食べさせ、物を与える教会というところが信じ難かったに違いない。「ただほど怖いものはない」という言葉をいろんな大人から聞いて来たように思う。
そういう母親のお返し根性ともいうものは私の中にも気がつかないうちに染み付いてしまっている。しかし私の場合少し違うのはお世話になったその人にお返しするのは親しい人であればあるほどその好意を「返す」ようで好きではないが、受けた恩義を別の人に返さなければと思うのである。返すという発想こそ、貧しく豊かさに欠けるが、それが私を動かす原動力になっていることは否定できない。さんざん育ててもらった子ども時代、自分の事しか考えなかった若い頃、子育てに追われてそれどころではなかった子育て時代を過ぎ、我が子に手がかからなくなった今、やっと「お返し」ができる身になったという訳だ。立場的にはできるようになったが、精神面では奉仕の精神の貧しいことこの上ない。貧しくても、鍛えなければ育ってはいかないから、今はふりでもするしかない。そのうち養われることを願いながら。

今日は教会学校と大人との合同礼拝なので、子ども向けの説教が終わると、子どもたちを下の部屋に連れていき、1時間近く面倒を見た。「レプタ2つ」という聖書の紙芝居をし、「地雷ではなく花を」の絵本の読み聞かせをして、地雷のことや、戦争の犠牲になるアフガニスタンの子どもたちの話しをする。
その後はリクエストに答えてドッジボールをするために外に出る。子どものころから嫌いなドッジボールではあったが、お話やビデオより子ども達の顔は生き生きして楽しそうで、私もなんだかうれしくなった。


たりたくみ |MAILHomePage

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