たりたの日記
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今日の朝日新聞の朝刊、「ポリティカにっぽん」というコーナーに 『インターネットで反戦デモ』という見出しで、23日に行われた「ピースウオーク」の記事が出ていた。 22日の夜、長男が突然、「明日、ピースウオークに行くから」と言うので、いったいどこの主催でどういう目的なのと聞くと、良く分からないけど、同じ大学のドイツ人の友人から誘われたという。コンサートや映画じゃあるまいし、良く分からなくて良くデモなどに参加できるもんだと内心呆れた。でも、その日、親はのんきに温泉に行こうとしていたわけで、彼の行為は動機はどうであれ、その行為には一応脱帽し、がんばっておいでと送りだしたことだった。
さて、ピースウオークから帰ってきた息子、例によって興奮し、影響を受け、すっかり平和主義者になって戻ってきた。出会った人たちの中に「すごい」と感じる人がいたようだ。一人のおばあさん(彼がそういうので)は、湾岸戦争の後、子ども達を支援するために、年に2度、イラクに出向いている人なのだという。若いものから老人まで、様々な人が共に集まり、その人達の放っているエネルギーの有り様が伝わってくるような気がした。
さて新聞の記事に戻ると、この「ピースウオーク 」は23日午後、代々木公園から渋谷駅周辺を行く若者たち300人の反戦デモで、呼びかけたのは 「CHANCE!」(平和を創る人々のネットワーク)ということで、数日前からインターネットで知らせただけで、これほどの人間が集まったということだった。我が家のHのように、何かは知らねど、ともかく馳せ参じたという若者も少なからずいたことだろう。
出発前の呼びかけ人の若者のあいさつの言葉が新聞に記事の中にあって 「これは」は、と思った。 「初めは静かに沈黙して歩きましょう。呼吸を整え、命を感じて。自分の心を静めて平和で満たして。ゆっくりとていねいにあるきましょう。歩いた足跡から一輪一輪花が咲くように。アピールではなく哀悼とヘ平和を祈って」 そのデモは声高に戦争反対のシュプレヒコールを繰り返す、私がイメージしていたデモではなく、むしろ祈りだったことを知った。 そうして、若者たちはこの呼びかけのように歩いたという。
それにしても、この呼びかけの言葉はまっすぐに私に訴えてくる。まるで私の内から出てきた言葉のように私に近い。たくさんの人々と知らないうちにすでに手を繋ぎ合っているの違いない。祈りは祈りと繋がり、平和を創りだそうとしている者達は深いところですでに共に歩き始めているのだろう。
同じ新聞の別の面には23日ヤンキースタジアムで行われた宗派を越えた「アメリカの祈り」という祈りの集会が開かれたと伝えられていた。 カトリック、プロテスタント、ユダヤ、ムスリム、ヒンドゥー。宗派を越えて一体になろうと、さまざまな宗教指導者が祈りをささげたという。 この光景が浮んできて胸がいっぱいになった。多くの人々の犠牲を前に、これまで実現されなかったことが実現している。 今度のテロ事件で私たちが示されているのは、やはり戦いではなく、一つになることだという思いがさらに強くなる。
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