たりたの日記
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「ねこんさーと」の打ち合わせで三鷹へ行く。 マオさん以外の方とは初めて顔を合わせることになっている。 席に着き、三角形に折られた画用紙に「たりたくみ」と名前を書いて、この名前をこういう場で使うのが初めてだということに気がついた。 別に本名を隠したいう訳では無い。私がいるこの領域はたりたくみの場所だという思いがある。
ひとりひとりの自己紹介はそれぞれにその方の個性がはっきりと出ていて、それぞれが独特なのに、どこか繋がり合っているような調和したハーモニーを感じた。ミュージカルの練習の日程表が説明され、台本読み合わせが始まり、ああ、ほんとにやっていると我がことながら信じられない気持ちになっていた。 というのも、ほんの一月前まで、私は自分がミュージカルのステージに立つなど考えてもみなかったから。
ミュージカルの中の歌詞を作ることになっただけでも、なんだか夢のような気分になったが、たまたま浮んできた曲まで使っていただけることになり驚いた。それが今度はノラという猫になることになり、セリフも歌も、なんとソロまである。これから6月まで、ここにいる人達とひとつの舞台を作り上げていくのだと思うと、ふつふつと沸き上がっってくるものがあった。人生っておもしろい。
家に帰って、鏡の前で猫の動きなどをやってみながら、映画ダンサー・イン・ザ・ダークのはじまりのシーンが浮んできた。あの映画は私の歩みの方角を定めるほどのインパクトがあったが、あの映画はセルマがその町の素人のミュージカル団で練習している場面から始まる。ミュージカルはやがて目が見えなくなる彼女の生き甲斐であり、夢だった。セルマはそこに自分をそっくり投げ入れる。すごく素人っぽい、洗練されていない動きになぜか惹き付けられる。あの時、完成度で計られる、評価を受けるパフォーマンスとは別のレベルのパフォーマンスがあることにガツンとショックを受けた。下手な踊りを踊りながら歌うセルマを見ながら、私はどれほど、その場で彼女といっしょにそミュージカルの練習に加わりたいと思ったことだろう。
それなのに、今度の「森のおく」のミュージカルに加わることになっても、その時の気分をすっかり忘れて、なぜ突然ミュージカルをやることになったのだろうなどど考えていたのだった。そうして、やっと今頃になって私はあの時ミュージカルをやりたいと、その中で自分を表現したいと願ったことを思い出した。今はあの時に繋がっていたのだった。
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