たりたの日記
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2001年09月07日(金) |
バリトンリサイタルの夕べ |
青戸知バリトンリサイタル、東京芸術劇場にて。 1週間ほど前、古くからの知り合いのM ちゃんからお誘いの電話があった。青戸さんの歌は一度、Mちゃんの結婚式で聞いている。結婚式の暖かい雰囲気と豊かな歌声とが甦ってきた。幸いぎっしり予定の書き込んである手帳がその日だけ何も書き込まれていなかった。Mちゃんにも4月に会ったきりだし、うれしいお誘いだった。
Mちゃんと出会いは20年前に遡る。その時彼女は10才の少女だった。夫と私が所帯を持ち、ここの教会に行くことにしようと定めた教会の牧師の長女だった。夫も私もすぐに教会学校の奉仕をするようになり、私のクラスにMちゃんがいた。凛としていて、自立している少女という印象だった。小さな弟の面倒を良く見、ハードワークをこなしている母親をかばい、また心配している姿に胸が痛んだ。共働きの母を支えていた私の少女時代と重なるものを彼女のうちに見ていたような気がする。その牧師家族は私たちがその教会へ通うようになって一年後に北陸の教会へ赴任していったので、わずか一年間のお付き合いとなったが、その密度はとても濃かった。私たちは日曜日ごとのその牧師の説教を心待ちにし、一言ももらさないように聞き入っていたし毎週の祈り会、聖書研究会にも出席した。我が家で御近所の方々をお招きしてやっていた家庭集会には牧師が自転車の後ろにまだ4歳のYくんを連れてやってきた。夫も私もYくんが大好きで、将来こんな男の子が欲しいと話したりもしていた。私が病気の時やつわりがひどくて臥せっている時、牧師夫人が夕食を作って持ってきてくださったり、いっしょにバザーに出す人形などを手作りしながら夫人から様々な話しを伺った。故郷を離れて親も兄弟もまわりにいない私たちに対してまるで家族のようにおつき合い下さったのである。こうして書いていると、その時の豊かな教会生活が甦ってきて、改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。
その家族と再開したのは、それから15年後、Mちゃんの結婚式の時だった。すっかり美しくなったMちゃんに、どれほど感動しただろう。ちょっぴり陰りを見せている大人びたYくんもなつかしい牧師夫妻にも胸がいっぱいになった。それぞれに遠い地で離れてすごしていた長い年月を思い、またそこを通ってもなお繋がっているものを味わいながら、それは感慨深い結婚式だった。芸大のオルガン科を卒業したMちゃんの仲間がそれぞれに歌や楽器の演奏をし、式に続くパーティーはコンサートのようだった。パイプオルガンを弾くMちゃんは牧師夫人になり、そしてお母親となった。私たちは時折り会って、それぞれの家族のことや教会のこと、音楽のことなど話しをするが、彼女に会う度に大輪の花がさらに大きくなっていくように見える。
青戸知氏のリサイタルはすばらしかった。欠けのない豊かな歌声だった。何の曇りも陰りもない安定した彼の声の中に安心して身を置くことができた。どこか悲痛なものを内に持つシューベルトの歌曲でさえも彼が歌うと陰りのない満ちた歌になる。音楽の世界の内側をそれほど知っているとはいえないが、音楽への道は非常なまでに厳しい。激しい競争や、たゆまない練習、厳しい芸術性の追求。ステージに立つ演奏家の背後に通ってきた苦しみが見えることがある。そのことは魅力でもあえうが、時として聞くものにも緊張をも強いる。しかし、このコンサートで私は少しも緊張することがなかった。むしろ体をマッサージ師に預けているような心地よさに我ながら驚いていた。この安心な気持ちはどこからくるのだろうと。演奏家のパーソナリティーの賜物なのだろう。奥様も声楽家と聞いている。それにしても彼の所属する教会は日曜日ごとにどんなに豊かな讃美がなされることだろう。
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