たりたの日記
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今日は英語クラスのデイキャンプ。といっても、家に英語を習いに来ている小5の3人の女の子達といっしょに過ごすというもので、名付けて『千と千尋と極楽湯』。 「千と千尋の神隠し」が話題になったが、聞けば、3人の内2人は映画館へは行く予定がないという。スクリーンで見せてあげたいと思った。しかも彼女たちはまさに千尋と同じ10歳なのだから、この夏に見ないでいったいいつ見る。
あのアニメを見た時、すっごくお風呂に入りたくなったのだが、最近できた大型映画館のすぐそばには幸い、大型のスーパー銭湯「極楽湯」がある。こちらは人間のためのお風呂、大御馳走はないけれど、かき氷くらいは食べられる。こういう風呂も行ったことがないのであれば、アニメのお風呂屋さんを体験学習といこう。 でも、親は遊ぶためには子どもをよこしてくれないかも知れない。それなら、最初にお勉強を持ってくるとしよう。10時30分から11時30分まで英語のクラス。お昼はカレーをみんなで食べて、それから出かけるのならよいだろう。 Nちゃん曰く、「お母さん、私が一日いないとのんびりできてうれしいと思うよ。」そうそう、そうなのよ。一日中子どもが家にいる夏休み、一日子ども会のバス遠足に行ってくれたことのうれしかったこと、世話をしてくれたお母さんたちが有り難かったこと。Sちゃんはそれとは反対に、私がいないと赤ちゃんの面倒を見る人がいないから、行かせてもらえないかもと顔が曇る。そういう子ほど、兄弟の世話から離れて遊ぶことが必要なのだ。Sちゃんも行けることになり、計画は実行に移せることになった。
朝からじゃんじゃん降りだったが出かける頃には日も照って遠足日和。家から駅まで歩くのにも「暑い、暑い」となさけない。幸い家を出る時に夫が職場から電話をかけてくれ、昼休み時間に駅から映画館まで送ってくれるという。有り難い申し出だ。駅に迎えにきてくれたおじさんにひとりづつ英語で自己紹介をすることにすると、電車の中でぶつぶつ練習したり、じゃんけんで順番をきめたりと大事だった。無事英語で自己紹介ができ、おじさんからほめられて映画館へ。どでかい映画館にあっと驚いて、バケツのようなおおきな入れ物にあふれるほどのポップコーンをかかえた人たちに目をまるくする。ここは全くアメリカである。ポップコーンとソーダは楽しいけど、映画に集中できないし、それに予算オーバー。ペットボトルの飲み物と小袋のコアラのマーチ、それに映画館の下にある食料品街で並んで買ってきたおいしいシュークリームを配給する。 私は2回目だったせいか、初めにみたときのわくわく感がなく、色も初めに見たほどきれいじゃないという気がした。その時の心の有り様で見え方はこうも違うのかと思った。それとも、どこか引率者の気分があって自分が子どもになり切れなかったのだろうか。あの映画は自分が10才の少女にならなければ魔法のような楽しさは訪れないのかも知れない。しかし、彼女達の反応を楽しみ、引率者としての喜びは味わった。
お風呂はまず裸になるのが一苦労。3人ともなかなかパンツが脱げないでぐずぐずしていた。こういうのは慣れである。人の前で裸になるっていうのもひとつの訓練。積んでおいて損はない。さて、今頃の銭湯の多様さ。薬草風呂、泡風呂、ジャグジ−、エステバス、赤外線サウナ、塩サウナ、水風呂、打たせ湯、露天風呂。それこそファンタジー。実のところ私はお風呂屋さんほどファンタジックな場はないという気がしている。知らない人同志が裸で広い空間のなかにいっしょにいる。それぞれがなんとも腑抜けた良い顔をしている。目を閉じて一人の世界にいる人もいれば、おしゃべりしている人もいる。生まれたての赤ん坊もいれば、おばあちゃんもいる。スタイルの良い若い子もいれば、隠しようもない中年体型の私の世代もいる。しかし、不思議と服に包まれている時ほどに「隔たり」を感じないものである。そもそも水は人間を元のところへ戻してくれる力がある。それぞれが一時にせよアダムになりまたイブになるではないだろうか。
おそるおそるその場へ入った子ども達だったが、時間が進むにつれて解放的になっていき、帰る頃にはすっかり「もっといたい状態」になっていた。 不思議だが、風呂屋へ行って初めの一時間くらいはいつでも帰れる状態なのにそれを超えるころから次第に「もっといたい状態」が訪れ、2時間を超えると「ずっとこのままでいたい状態」に入り帰りたくなくなるのである。しかし、そういう訳にもいかないから今度来るのを楽しみに心を残しながら帰るという具合になり、後を引く。
帰り、子どもたちは迎えに来ていた親に、今度お風呂に連れていってとねだっていた。はて、親に御迷惑かけてしまったかしら。 ともかく、楽しい一日だった。夏休みももう終わり、夕方の風には秋の気配が混じっている。
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