たりたの日記
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その昔、私が母というものに成りたてのころ、帰省先で退職した小学校の青年部の先生方が集まりを設けてくれたことがあった。その時私はみんなで食べるようにと巨峰を一箱下げて行った。その前に大切なこと、わが赤ん坊を抱えて行った。青年部では私が最年少だったが、私の他に子持ちはいなかった。話しに花が咲き、久し振りにシングルの自由さに私も触れ、すっかり昔の気分に戻っていた。 さて、持っていった巨峰を食べることになった。小さなテーブルの真ん中に置かれた 巨峰に同時に6本か7本の手が伸びる。しばらく近所の奥さん方との付き合いしかなかった私は、ああこうだったと昔の感じを思い出した。そこで私も遠慮などせず、手を伸ばしてブドウの大きな玉をちぎり始めた。そしてそのブドウの皮をはがすとそれを小さくしては隣にいる赤ん坊の口に入れ続けたた。彼にとっては初物である。安月給の家計から巨峰を離乳食にする贅沢はこんな時でなければできないとばかり、夢中で赤ん坊に食べさせたのである。それを見ていたかつての仲間達が、「へーっ、子どもができたら、自分は食べないで子どもに食べさすの。」と驚いた。もともと食べたいものには遠慮なくという私の素性を知る仲間は母性の偉大さに感心したようだった。
あれから18年、さて私はその麗しい母性を相変わらず保持しているだろうか。 実は今日は次男のバスケット部の顧問の歓送迎会が部の父母会の主催でなされた。親子で7000円のバイキングというので、私は後で困らないようにわざわざウエストのゆるいスカートにはきかえまでして出席した。しかしそれはとんだ計算違いで私は空っきぱらを抱えて家に帰るはめになってしまった。 ものすごい勢いで料理に群がる男の子達を眺めながら、どうも母親達は子どもと争って食べる気配がない。さあとばかり皿と箸を握った私は回りを見渡すと思わずそれをテーブルへ戻してしまった。もちろん、「私たちも少しはつまみましょう」とお皿に入れたものを何人かのお母さんが持ってきてくださったが、子ども達と同等に自分の皿に取るということは考えられないことのようであった。
ここに母性の大きさの差が明らかになったのである。息子達がばくついているのを嬉し気に目を細めて見ているのは18年前の私の、自分が食べなくても子どもに食べさせたいと願う麗しい母心。一方、「ねえ、ねえ、君ら少しは遠慮というものを知らないの。まだ食べていない母たちがここに立っているじゃないの。」と内心ムスクれているのは子どもの犠牲になってたまるものかと日々バトルに明け暮れる今の私。
「今日は子ども達はたらふく食べて楽しそうで良い会っだたわねえ」とお互いを労い合う麗しい母親達の後ろをとぼとぼ歩きながら、しかし私は「そうかなあ」と思うのだった。
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