たりたの日記
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2001年07月13日(金) |
正午12時 教会の鐘の音 四ッ谷駅 |
ああ、夜は更けに更けて、もう翌日になってしまった。 早いとこ日記を始末して寝てしまわねば。 今日(もう昨日だが)の暑さったらなかった。 でもこの暑さの中、仕事はオフだというのに四ッ谷まで出かけた。 上智の聖三木図書館で1ヶ月前に借りた本を返し、また借りるためだった。 わざわざ2000円近い交通費を払って図書館に通うというのも端から見れば 馬鹿げてるだろうが、その場所が気に入ってしまった。またそこにしかない本 もある。 ちょうど着いたのは昼の12時、図書館に向かって歩き始めたらイグナチオ教会の鐘が鳴り響いた。ミサの合図だ。
同じキリスト教とは言っても私はプロテスタント。でもカトリックのミサに出たことがある。一度は中2の時。入院中だった。同じ入院仲間数人と深夜、病院をこっそり抜け出し、クリスマスイブのミサに出たのである。確かカトリックの高校に通っている子が仲間にいたのだ。 もう一度は子連れヨーロッパ旅行の時、パリのノートルダム寺院の礼拝に出た。フランス語の説教など分かる訳はないのだが、聖歌隊の歌やオルガンは震えるほどすばらしかった。最後に司祭さまのところへ行き挨拶し(英語が通じた)握手し、先月日本へ行ったことなど話してくださった。感動だった。
とそういう思いでがあったからか、鐘の音に誘われるままに礼拝堂の扉を開けて私は中に入ったのだった。 やはり、礼拝の勝手が違うし、同じキリストを信じているとはいっても、何か部外者としての居心地の悪さはあったが、手術を控えている義父のことを祈ることができてよかった。 それにしても、教会など全く縁が無いという人の教会に対する違和感ってこういう感じかなと思った。わたしはよく教会に来ない?と気軽に誘うし、教会なんてそれこそ図書館くらい公共の場という感覚があるのだが、それはどっぷり中にいるからで、今日の私みたいに興味にかられて、はじめて入って来た人にとってはずいぶん違和感があるんだろうなと改めて思った。これでは教会が日常から遊離している特殊な人が集うところという印象を持たれてもしかたない。敷き居は高いに違いない。 お寺も教会も神社ももっと、社会と日常のレベルでの接点を持つ必要があるのではないかと思った。 そういうことも含めて、今日炎天下に出かけたことは無駄ではなかった。 それにしても暑い日ではあった。
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