たりたの日記
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サイトで知ったネモ船長の所属するグループの朗読発表会へ行った。 またこの会にはマオさん、なおこさん、そして井出さんもいらっしゃることになっていた。マオさんは知っているが、後の方々はいわゆるメル友。日記や掲示板の書き込み、また出版されている本などを通して、良く知っているにもかかわらず、お会いしたことがないという関係だった。会ってみたいという気持ちと同時に何かどぎまぎするような気分があって、意を決して出かけるという感じもあった。それにしてもこの気分は何なのだろうと不思議だった。
会場へ着く。知っているけど、知らないというのは不思議なものだ。この人かなと思うのに、確信がないので、また別のところに目を泳がせ、証拠を探そうとする。そのうち、そうに違い無いという気がしてきて声をかける。ここでは私は「たりた」だ。「やっぱりそうでしたか」と文字だけで知っていたネモ船長と御本人がひとつになる。こうやって会ってみれば、もうずっと前から会ってきたという気になる。娘さんのももてんは受け付けをしていた。彼女の掲示板にも時々おじゃましていたので、知り合いだ。井出さんはお母さんといっしょにいらしていて、彼女がネモさんから送られてきた封筒を手にしていたので、ネモさんが「井出さん」と声をかける。毎日のように会っている井出さんとはこの方だったのだとまた不思議な気持ちになる。なおこさんとマオさんは遅れているらしい。お二人のことを気にしながら井出さんと並んで朗読を聞く。朗読は予想していたものよりも演劇に近く、舞台でのパフォーマンスを見ている気分だった。文学としての言葉が生身の人間の声を通して伝えられる。作品と読み手とが作り上げるオリジナリティーあふれる世界。わたしがこれまで体験してきた語りとも歌とも共通するものがあると同時に、そこにはなかった要素もあった。 休憩の時になおこさんとマオさんとも会え、いっしょに並んで聞くことができた。ネモさんの朗読した芥川龍之介の「蜜柑」は不思議なほど情景がくっきりと浮かんできた。このように作品の世界を伝えることのできる朗読という仕事が新しく目の前に広がった。 作品を通してとても近くに感じていたなおこさんだったが、お会いするとさらに親しみ深さや魅力が増した。マオさんとは過ぎてきた時間がどっとそこに立ち現れ、聞きたいこと、話したいことが押し寄せてくるようだった。 朗読との出会い、ネットで出会った方々との実際の出会いと感慨深い日となった。
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