たりたの日記
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2001年06月24日(日) トラウマからの威嚇

私がパニックになることが2つある。ひとつは道を1人で歩いている時に向こうから犬がやってくるという状況。もうひとつは人前で鍵盤楽器、つまり、ピアノなりオルガンなりを弾くという状況。それもこれも、ある時期に受けたトラウマのせいだと思っている。

私が赤ん坊の時は犬がとても好きで、だれもが怖がる隣の家のスピッツをにこにこしてさわっていたらしいが弟と二人で保育所に通う道でコロという犬に襲われるようになり、すっかり犬に怯えるようになってしまった。猫は飼うようになってから克服したが、犬はまだ怖い。もっともこの頃は放し飼いにされている犬にあまり出会うこともないから、もっぱら夢のなかで手に汗を握るくらいである。

小学校一年生の時、友だちが習っているオルガンがうらやましくてならず、ねだりにねだって買ってもらい、ヤマハのオルガン教室にも通わせてもらった。オルガンは大好きだった。オルガンといわず、バイオリン、リコーダー、ハーモニカ、アコーディオン、小太鼓、ダブルベース、ギター、ピアノ、といった楽器をほとんど学校のクラブ活動と独学で学び楽しんでいた。
ところが大学の教育学部で、副専攻に音楽を選んだのが間違いだった。なにしろ、なんでも自己流でやってきたものだから、ピアノはバイエルからしごかれることになり、鬼のように怖い教授から、手をたたかれたり、足を蹴られたりしながらレッスンを受けるはめになってしまった。その甲斐あってか、卒業する時にはドビッシーのアラベスクを弾けるようになったが、それにしても完璧に暗譜して、目をつむっても弾けるくらいだったのに、卒業試験では最後のところで次ぎの音が出てこず、パニックを極めた。そのせいだと思う。練習ではうまくいっても、本番になると頭に血がのぼり、顔や手から油汗が吹き出し、私は自失するのである。自分がコントロールできないというのは不安なものである。どこかで自分に信用がおけないのだから。

しかし、それにもめげず、教会のオルガン当番を月に一度引き受けたのは何とかこの悪癖を克服して、祈りを捧げるようにオルガンを弾けるようになりたいと思ったからだった。4年ほど続け、少しづつ緊張の度合いは少なくなっていったが、それでも、とても間違えようのない曲でも、礼拝の中では必ずミスをするのはなおらなかった。しかし、今年度に入って、教会学校の仕事や会計の仕事がかぶさってきて多忙になったので、オルガンの当番からはずしてもらった。たった月に一度のことなのに、この礼拝のオルガンがかなり私を圧迫していたようだ。この当番がなくなってみると、なにか一度に余力ができたような気がした。宿題を抱えていない開放感のようなものを感じた。オルガンを前にしたあの緊張に伴うエネルギーに比べれば、子どもたちの相手やお金の計算など少しも大変ではない。

今朝のこと、教会学校が終わって、お迎えを待つ子どもたちの相手をしていたから、わたしは礼拝には遅れて出るつもりでいた。ところがオルガンの担当の方がまだ来ないという。司会の方があわてて、わたしのところへやってきて、音だけでも出してくれという。そんなこと言われてもと思いつつ2階の礼拝堂へ急ぐ。今日いったいどんな讃美歌がプログラムに載っているかも知らない。みな礼拝が始まるべく着席してオルガンの前奏を待っている。この状況はどう考えても私にパニックを引き起こすはずなのに、不思議と腹が座っていて、座っている人々の中を前に進み、オルガンの前に座ると讃美歌の中から弾き慣れている曲を前奏曲に選び弾き始めた。いつもはここで頭に血が登り、手がガクガクするのであるが、なぜか平気だった。当然、全く練習していない讃美歌を弾き、最後の曲などは見たことも聞いたこともないもので、しかも古い時代のものだからリズムがえらく変則的だった。なんとか礼拝は無事に終わり、階段を降りながら、ちょっとした満足感に浸っていた。今まで何度も練習したあげくに間違ってしまった時の敗北感とまるで違うではないか。どぎまぎせずに自分をコントロールできたことが嬉しかった。それにしても、こういうのを火事場の馬鹿力というのであろうか。あまり急なことでトラウマからの威嚇も間に合わなかったにちがいない。


たりたくみ |MAILHomePage

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