たりたの日記
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先週は一週間、毎日父のことを書いた。書く時間以外でも、今日はどんなことを書こうかと考えているわけだから、頭のなかは父のこととか、子どもの頃のこと一色となる。ちょっとちがった気分で過ごした一週間だった。私の事をよく知ってくれている友人からメールで感想が送られてきた。私の書いたものを読んで爆笑してくれた人やじわっと泣いてくれた人、さらには声を押し殺してむせび泣いてくれた人。もうただただ有り難いと思った。書いたものを読んでもらうことでさらに繋がりが深くなったようで嬉しかった。こういう嬉しさは今まで知らなかったなあ。
今週は何となく、宗教がテーマになっている。今読んでいる、高橋たか子のこともいつか書きたいと思っていたし、良い機会だとは思うけれど、読む方は疲れるだろうなとふと思った。なにしろ笑わせる場面なんてどこにもないし。とにかくシリアス。わたしも日々、考える人のポーズで思索に耽っている。自分でも、ちょっと息抜かなくちゃと思う。
友人の1人が、読者は共感したいんだからね、と言ってくれた。時として、私の書くものは濃度が濃すぎて共感を呼ばないものになってしまうことだろう。確かにそうだ。私も共感できるものはおもしろく読めるけど、そうでないものは読むのがいやになってくる。けれど、一方ではこれが私、もともと日記なんだから、共感されてもされなくっても書きたいものを書きたいように書くのだという開き直ったりもする。
でも、こういう休憩の文って早く書けるものだなあ。夕飯(ゆうめし)前だった。 さて、これから晩御飯。 「みんな〜、食べるよ〜」
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