たりたの日記
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2001年06月20日(水) 宗教的多元主義

実際のところ、今日は6月22日の金曜日だ。梅雨の晴れ間、少し陽も差している。

火曜日の日記に遠藤周作氏が「宗教的多元論」に出会ったくだりについて書き、このことはわたしにとってもまた出会いだと書いたが、どうしてそう思ったのか、ここに書いてみようという気になった。遠藤氏の文章を引用させていただく。

< 各宗教は別々かというと、私は、キリスト教が説いていることも、仏教が説いていることも、ヒンドウー教が説いていることも、根底においては共通したものがあると思う。自分を生かしてくれている大きな命に名前をつけたのが、キリスト教徒の場合はキリストだし、仏教徒の場合は釈迦であったり、阿弥陀様になったりするわけです。つまり、それは富士山を東から見るか、西から見るか、北から見るかであって、登っていく道は別々だけれども、頂上においては同じだということです。
 その意味で私は、
「、ヒンドウー教に、キリスト教徒になれと言う必要はない。またキリスト教徒に ヒンドウー教に なれと言う必要はないではないか。私は ヒンドウー教徒です。しかし、キリスト教徒の方たちが キリスト教徒であるということを私は尊重します」
 というふうなインドのガンジーの言葉に、非常に共鳴するわけです。
  <中略>
だから、今、ヨーロッパの学者たちもだんだんこの問題に気づき始めて、『神
は多くの顔を持つ』とか、『宗教的多元主義』とかいった本を書かれている学者もいて、私はそれに非常に共鳴している。>

この遠藤氏の言葉は自分の宗教を持っていない人にはごく当たり前の言葉として聞こえてくるのだと思う。しかし、遠藤氏がキリスト者という立場で、またガンジーが ヒンドウー教のリーダーという立場でこう言い切ったことの意味は重い。思いつめた言葉とでもいいたいような緊張感さえそこにある。ガンジーのことはよく分からないが、遠藤氏がそのように言い切るまでにどれほど、苦しみ、探しもとめてきただろうと思うのである。氏はヨーロッパのキリスト教と、東洋のキリスト教の狭間で悪戦苦闘してきたと語っている。

これを読んでいる時、イスラム教の信仰を持つ友人のタスニーンのことを思い出した。アメリカのコミュニティーカレッジで米語のクラスを取っていた時、いつもサリーを着ていたパキスタン人の女性が前の席に座っていた。わたしは彼女のしんとした姿に好感を持っていたので、何かのきっかけで話しかけ、私たちはかなり親しくいろいろなことを話すようなり、お互いの家にも行き来するようになった。彼女もまた家族もたいへん熱心なイスラム教徒であった。私は自分がクリスチャンであることを伝えていたから、話しは宗教的な話題が圧倒的に多かった。わたしが初めて出会うイスラム教徒であったから、彼女の話しはどれも興味深かった。教義についてはよく分からなかったが、私は彼女の信仰に触れるといつも感動し尊敬の念を覚えた。私たちの日本への帰国が近くなったある日、彼女はたくさんのスパイスとお祈りをほどこした鶏肉、パキスタンから輸入した米などを抱えてやってきた。いっしょに様々な形のスパイスを砕くのはおもしろかった。炒めた肉に砕いたスパイスを加えて煮ると、なんともいえないおいしい匂いがキッチンに溢れた。食事をし、居間で話しをしている時だったろうか、彼女が突然、東はどっちかと聞く。わたしが位地を示すと、今、祈る時間だからボールに水を入れたものと、床に敷く物が欲しいと言う。彼女は東に面した部屋に入ると独りしばらくの間、祈っていた。隣の部屋ではあったけれど、なにか冒し難い空気が伝わっくるようであった。わたしはその間、じっと居間に座り彼女の祈りにどこか合せるような気持ちで座っていて、満たされるものを感じていた。人の家であろうとこのように決まった時間の祈りを守るという信仰に圧倒されるものも感じていた。

そのことがあってから数日後、お互いの子ども同志が友だちということでおつき合いのある日本人の方にそのパキスタンの友人の祈りのことを話した。彼女はクリスチャンで、日本人が集う教会で熱心に活動している方だった。私は彼女と、その時の感動を分かち合いたいと思ったのかも知れなかった。けれど、彼女の反応は私が予想したものとは違っていた。彼女は、あなたはなぜ、彼女の信じる神が間違っていると教えてあげなかったの。それはあなたの友だちに対してとても不親切なことだと思う。私たちはクリスチャンとして異教の人達に伝道する責任があるというようなことを言われた。彼女のいう事は正論だ。しかし、私はタスニーンの信仰を否定したくはない。他の宗教の信仰を尊重すべきだという私の考えと、唯一の神以外は間違っっているのだから、そういう人に伝道するのがクリスチャンの努めだとする彼女の考えは激しくぶつかった。彼女が帰った後、もう会うこともないだろうと思い悲しかった。彼女の言ったことはキリスト教的には間違ってはいない。そうすると私の在り方が間違っているのだろうかと、さまざまに揺れ動いた。異なる宗教を持ち、異なる文化と言葉を持つタスニーンとこれほど心を通じ合せることができるというのに、同じ宗教を持ち、文化も言葉も同じ彼女とここまで決定的に分かりあえないということが皮肉に感じられた。しかし、こういった考えの違いにはそれまでも、その後も繰り返しぶつかってきた。その度に私は立ち止まってしまう。どこに答えがあるのだろうと思う。

遠藤氏はこの章をこのようにまとめている。

<だから、たとえば今、京都の天竜寺では、キリスト教の神父や修道士が来て、座禅を組んでいる。それから、天竜寺のお坊さんたちがヨーロッパへ行って、向こうの修道院で一緒に生活をしてみている。今までは集団における対立の時代であったのが、話し合いというかお互いの尊重の時代になってきつつあるんです。>

わたしはこれを読んで何かほっとするものを覚えた。心にずっとひっかかってきた問いが解決したとは思わないが、少なくとも私の疑問はわたしだけのものではなく、その問いの解決に向けて、大きなレベルですでに動きが始まっていることを知ったからである。


たりたくみ |MAILHomePage

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