たりたの日記
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いったい記憶というのはどういうぐあいになっているのだろう。忘れ果ててしまったはずのことが表面にふっと浮びあがってくる瞬間がある。音楽や言葉が、時にはひとすじの風や、雨の匂いも 底に沈んでいた記憶を連れてくる。 今日、詩集を読んでいて、そのことが起こった。私はほんの一瞬、5歳のわたしに戻った。その時の気分が瞬く間だけ訪れる。なつかしくて、もっとはっきり捕まえたいと思うのだがするりと逃げられてしまった。 こんな時いつも思うのは私は歳を重ねることで変化してゆくのではなく、4歳の時のわたし、5歳の時のわたしという具合にすべての年齢のわたしを内に持っているのだということ。最近はこれは生まれるずっと前の記憶だという気がしてならないこともある。 40代の半ばになって、わたしはその時々のわたしに出会いたいと思うようになった。わたしの血や肉になり、わたしを形作ってきた言葉や音や絵にもう一度会いたいと思っている。 思っていると、それらが向こうからやってくる。
<HP『空の嘘』に書き込んだこと>
今日「続続・谷川俊太郎詩集」を読んでいたら、「誰もしらない」に出くわしました。どきっとしました。この歌はわたしの深い記憶の底にあるものだったから。それがふっと表面に上がってきたのですから。谷川さんの詩だったのですね。 NHKの「みんなのうた」でした。わたしが4歳とか5歳のころだったのではないかしら。アニメーションの動きと不思議な言葉と変わったメロディーがいっしょになって、わたしはぶっとばされました。小さかった私はその歌を聞く時におこる、そわそわするような不思議な気分を言葉にできるわけもなく、誰かに分かってもらえる気もせず、ただただひとりで不思議にさらされていました。 よくよく読んでみると、詩の中にはお星さま、みかづき、空飛ぶ円盤、という言葉はあっても、宇宙という言葉はないんですね。でもこの歌で小さいわたしは初めての宇宙体験をしたのだろうと思うのです。 お星様ひとつ プッチンともいで こんがりやいて いそいでたべて、、、、 歌ってみると、あの時の不思議な思いのはじっこのところに触れる気がします。でもはじっこだけ。 あの時の不思議は他の誰とも共有できないわたしだけの不思議、大人になった私とも、あの歌を作った人たちとも共有できない、、、。 あの不思議をこわさないために、わたしはそれをまた記憶の一番底のところに戻さなければと詩集を閉じました。
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