たりたの日記
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今日はつくしんぼ保育室の「あそぼう会」の日。 その保育室は私の家のすぐ側に2年ほど前にできた保育室、4人から10人くらいの赤ちゃんと幼児が出入りしている。園長のTさんから頼まれて、2ヶ月に一度、英語の歌とあそびを担当するようになった。
感触のよい木の床と広い縁側。庭はよちよち歩きの赤ちゃんたちにちょうどいい広さで、小さい子たちはそこで裸足になって遊んだり、水遊びをしたりする。庭の隅には野菜が植わっていて、この元気な野菜たちが子供達のお昼のお浸しになったり、お味噌汁の実になったりしている。 ここにきて床にぺったり座り、赤ちゃんや小さい子をだっこしていると、ほんとに平和な気持ちがする。私が3歳児と赤ん坊を抱えていっぱいいっぱいだった頃、こんな家庭的な保育室が近くにあったら良かっただろうなと思った。
いつだったか、同じ団地に住む育児仲間のMさんと意を決してバスと電車を乗り継ぎ、デパートまで買い物に行ったことがあった。お互い、赤ん坊を背中にくくり付け、動き回る3歳児の手をしっかり握って移動するという状態だった。買い物は予想以上に大変で、彼女が試着する間、赤ん坊を前と後ろに抱え、2人の3歳児を捕まえておかなければならないのだが、3歳児たちは狭い団地の2DKとうってかわって広いデパートに興奮して、もういくら睨みを聞かせてもぜんぜん動じない。捕まえておくにも手が一本足りないわけで、我が 3歳児が止める声を完全に無視して駆け出したのである。追いかければ、もう一方の3歳児もおにごっこと勘違いして別の方向へ駆け出すしまつ。予定していたものも買わずに満員電車に揺られて帰ってきた。もうデパート行きはこりごりだと思った。思い出してもへとへとになる。
あの時、こんな保育室があれば、わたしたちは赤ん坊と 3歳児を仲良くそこに預けて、スカートにかかとのある靴でショッピングをし、ランチもできただろうに。たまには映画やコンサートにだって行けたかもしれない。子どもが張り付いていて自分の時間なんてどこにもなかったもの。映画もコンサートも夢のまた夢だった。そしてまた行けるようになる日が来るとなぜか信じられないでいた。 でも、あの時の苦労がなかったらこの自由のありがたさは分からなかったかもしれないとふと思う。我が儘な私は我が儘を矯正されることなく歳を重ねることになっただろうし。すべての母親を尊敬する気持ちも目覚めなかっただろう。あの不自由さはそれなりに必要だったのかもしれない。そんなことをあれこれ考えながらよその赤ちゃんの感触を楽しんだ。髪振り乱していたあの頃はこんなにゆったりと赤ちゃんを楽しんではいなかったような気がする。 もう一度やり直してみたい?いえいえそれはけっこう。いろいろ面倒は続いているものの、うるさい音楽も耳を塞げばすむことだし、やつらの部屋がきたなくてもバタンと閉めてしまえば、知ったことではない。夕食をテーブルに用意しておけば、夫とナイトショーの映画にも出かけてゆけるのだから育ってくれてほんと、有り難い。
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