たりたの日記
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2001年05月24日(木) Footprints

昨日の日記に Footprintsの訳詩をのせた。
もうずいぶん前から、色々に訳してみるのだが、納得のいく訳にはならない。
一度外に出してみて読んでもらうと訳の良し悪し、あるいは響くか響かないかがもっとよく見えてくるのではないかと載せてみた。

この詩は作者も定かではないのだが、アメリカではよく知られているものらしい。壁掛けやマグカップに印刷されているのを教会関係の店でよく見かけた。
5年前、ひとりでセントルイスのダウンタウンをぶらぶらと歩きながら、土産物の小さな小物が置いてある店に入った。スプーンやマグネットなど安くて荷物にならない小さな記念のものをと捜した。そのとき手に取ったマグネットにこの Footprintsが書かれていて、ああこれかと思ってなんとなく文字を追った。ところが一番最後の行のところで、店先だというのに、どっと涙が出てきてひどく泣けてそのまましばらく動けなかった。

私の訳詩を読んだ夫は「つまらない」という「実存的でもなんでもない」と。
響かないのは私の訳のまずさのせいだろうか。確かに英語から伝わってくるものがそのとうりには響いてこない。英語の言葉が含む世界と、それと同じことを意味する日本語が含む世界がもう違っている。同じ意味の内容でも、そこに生じる世界に違いができる。それはそうとして、どうしても泣いてしまう最後の一行が私にとって何なのかそれを確かめるためにも、もうしばらくこの訳を
考えてみたい。


たりたくみ |MAILHomePage

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