たりたの日記
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2001年05月18日(金) 出産祝い

たった2年の教員生活だったのに、「教え子」たちが時々便りをくれる。
仕事のことやボーイフレンドのことを書いていたのが、この頃は育児のことだったり、頭に来る旦那のことだったりする。

私が新卒の時の受け持ちは小学校3年生だった。始業式の日私の名前が呼ばれ、3年2組の子ども達の前に立った。私は濃いピンクのスーツを着ていた。その時点から私は先生ということになってしまい、覚悟はしていたつもりだったが、ただただ面喰らった。
初仕事は教室の掃除だった。私はスーツのままこの40人をどう動かすのか途方に暮れていた。すると、一番前で心配そうに私の顔を見ていたS君が私の心の内を察して、私を掃除用具が置いてあるところへ連れていくと、掃除の手順を教えてくれた。子どもってなんてかしこいのかしら。3年生がこんなに頼りになるとは知らなかった。S君のアドバイスに従い、何とか40人を振り分け、無事初仕事を終えたのである。

私は鉄棒は出来ないし、私めがけて投げてくる男の子達の直球がこわくて、ドッジボールにも加われない。おおよそ取り柄のない新米だったのでできることだけを過剰にやった。毎日絵本の読み聞かせをし、朝に夕に、足踏みオルガンをグイグイ踏みながら、子どもたちに歌を歌わせた。けっして私の指導がよかった訳ではなく、丸山亜季さんとか、林光さんとかの作った心の底からわきたたせるような歌の力で、子どもたちは顔を真っ赤にして突き抜けるような声で歌うようになった。中でも、いちばん後ろの席にいたNちゃんはほんとにうれしそうに体じゅうで歌うので、わたしはそれがうれしくて、さらに懸命にオルガンのぺタルを踏んだ。いちばん顔を真っ赤にしていたのはわたしだったにちがいない。

あれから20年の月日が流れて、あの時のS君とあの時のNちゃんが結婚した。私は二人の結婚式に招かれ、すっかり忘れてしまっていた恥ずかしいことなども話題にのぼり、そしてつい先頃、女の子誕生のメールが写真入りで届いた。お祝に何を送ろうかと聞くと、絵本がほしいと の返事があった。また、わたしが読みきかせした絵本のことが書かれてあった。覚えられていることが恥ずかしいことだけじゃなくて良かった。私は本屋に行くと、あれも、これもというたくさんの絵本の中から、我が家の赤ん坊達が夢中になった松谷みよ子の「赤ちゃんの本」のシリーズを選んだ。孫に絵本を贈るのってこんな気持ちだろうか、しみじみと幸福だった。


たりたくみ |MAILHomePage

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