たりたの日記
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何ごとにも長続きのしない私だが、ヨガは5年ほど続いている。これからも続けるにちがいない。ひとつには、始めからそれほど夢中にはならなかった。夢中にならないことは長続きする。それは人にも言えるかも。 体を整えるというのが良い。頭はとりあえずからっぽにしてよい。意識を呼吸に集中させる。深く息を吸い込む時は足の下のずっと下、大地の中心からエネルギーを吸い上げることをイメージする。不思議なもので、体のすみずみにまで、エネルギーが行きわたるようである。吐く息は体全体に淀んでいるものを、すべて残らず吐き出すように、力強く吐ききってしまう。気が流れる通路が掃除されると、体も心も気持ちが良い。 体と心とはとても密接につながりあっているにちがいない。こころの痛みが体を蝕むことにもなるだろうし、また体に不足しているものがあると心はそれに反応するのだろう。 ところで、初めてヨガをやったのは、アメリカの公民館でだった。同じ教会に通う心理カウンセラーをやっているキャロルから誘われたのだ。毎週、夜の7時から9時からで、お互いに子どもは旦那が見ることになっていた。彼女は私が東洋人だから、興味を示すと信じているようだったが、わたしにとってそれはエアロビックスよりも、自分とかけ離れている世界だった。 そして、アメリカの公民館で白人のグルから、英語で東洋の神秘についての手ほどきを受けたのである。部屋は照明を落として薄暗くしてあった。何か東洋を意識しているようで、その場で唯一の東洋人として、私は何だか鼻高々だった。それにしても、人間の回りにオーラというものが存在し、そのグルはそれが見えるらしかった。ますます自分とは遠く、いったいここで語られる東洋とはどんなところなのだろうと不思議な気持ちになった。 月日は過ぎる。わたしは昼間に日本の明るい公民館でヨガをやっている。少しも神秘的というわけではないが、体と心との関係や、気の流れは体で感じ取ることができる。そして命は不思議に満ちているという想いはさらに深くなる。
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