たりたの日記
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2001年05月15日(火) 去年の今頃

5月、美しい季節だ。どこにも命が漲っている。
ふっと思い出したことがあって、去年の手帳を開いてみる。
やっぱりそうだ。去年の今頃、私はちょっと大変な事体のまっただ中にいた。

3月の末、人間ドックの結果で、貧血がひどいのですぐ治療を受けるように言われた。病院へ行くと、貧血も然ることながら、子宮筋腫の状態が良くなく、MRIで調べると、肉腫というやっかいなものかも知れないから、すぐに切ったほうがよいといわれた。うーん、困った。新学期が始まったばかり、小学校のクラスが3クラス、幼児とお母さんのクラスが4クラス、中学生は受験生も含め、10人。130人ほどの人に迷惑がかかる計算だ。その上、師事している声楽家の門下生のコンサートを控え、日々練習に励んでいる時だった。「夏にというわけにはいきませんか?」と、私よりは若いと思われる女性のドクターにおそるおそる聞いてみた。彼女は私の脳天気な態度にむっとしたのかも知れない。こう言った。「そうですね。もし肉腫だったら、切ったところで、半年かそこらで全身に広がりますからね。今のうちにやりたいことをやったほうがいいかも知れませんね。」そうか、そういうことならまず、コンサートまでは歌を歌って、当面の目標を達成し、それから今後のことを考えようという決断をし、病院を出た。
なぜ、あの時、それほどまでに、歌うことに固執していたのか、今となっては分からない。けっして上手くはなく、門下生の中では、むしろへたなほうで、だれから期待されているわけでもなかったのに、、、。ともかく、去年の今頃は掃除機をかけながらでも、ちゃわんを洗いながらでも歌い、日々練習に励んでいた。私はこういう場合、生徒の鏡である。ものすごく熱心にがんばる。
歌はパーセル作曲の「夕べの讃美」、イギリスの古い時代の歌で、旋律は美しく、また歌詞も良かった。今、太陽が沈み、夜の帳がおりようとし、やわらかなベッドに身をよこたえるのだが、私の魂はいったいどこで憩うのか、それは神の腕の中、そこより甘美で安心な場所があるだろうか、、、、といった内容の歌である。不思議なもので、半年の命かも知れないと思うと、その歌はこの前まで歌っていたのと全く違った光りを帯びてきた。すごーく真に迫ってくるのである。神の腕に抱かれるというイメージが恐ろしいまでに強い歓喜を伴って沸き上がってくる。これまで命をいただいて、少なくとも今は生きているということが激しくうれしいのである。ちゃわんなんかを洗いながら、ああ、こういう事体の時に、この歌を歌う運命でよかったと思い涙が流れた。命のありがたみのほうが強く、死の恐怖には少しもかられなかった。ほんとうである。

で、無事ステージで歌って、翌日別の大きい病院ヘ行った。夏の手術の予約をするためであった。ところが、押しが強く、いかにもこわそうなその医者は、「問答無用。今日これから、手術前検査をします。あっ、君(看護婦さんに)緊急扱いで来週の木曜日にオペ、入れておいてね。」と、すでに手術の日程が決まってしまった。男の医者だった。「この医者うまくやるな。こうやって迷う余地を与えないんだ。」とその鮮やかさに感心してしまった。そして、腕もいいように思われた。(このいいかげんさ!)
で、切り取ったものを検査した結果、有り難いことに、やっかいな肉腫とやらではなく、ただの子宮筋腫ということがはっきりした。よっかった。よかった。夫は酒絶ちを止め、長男はこれを期にタバコを止めたということだった。(ナニ、今まで吸っていたの、この不良!)
我が家に平和が戻り、またのったりした日常が訪れた。しかも、私は長年付き合ってきたやっかいなものと縁が切れ、それは爽快だった。血も濃くなったから、やたら元気にもなり、未来が開けてくるような気持ちになった。しかし、あの歌を歌っていた時のあの不思議な凝縮した思いは、命への強いありがたみは何か色あせてしまっている。
あんなに固執していたのに、今は少しも歌っていない。どうして、となさけない気持ちにもなる。ある時嵐のように何かに夢中になって、やがてそれが止んでしまうというのが私の本性だから歌もそうだったのだろうか。それとも、子宮と歌との間に何か深い関係でもあったのだろうか。ともかく去年の今頃、私はそんなふうに生きていたのだった。
もう子宮はないけれど、また歌いたい気持ちになりたいと思う。


たりたくみ |MAILHomePage

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