たりたの日記
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今、佐野洋子にはまっている。彼女の「100万回生きたねこ」は二人の子どもやよその子たちに、100回くらいは読んでいるんじゃないかと思うくらい私に染み付いている絵本だが、そしておもしろそうな人だな、とは思っていたが、エッセイをまとめて読んだことはなかった。 ところが最近、A(夫のこと)が、古本屋かなんかから、佐野洋子の本を次々に運んできては、ひとりでおもしろがっている。そこで、この前、電車に乗る時に、一冊文庫本「ふつうがえらい」をくすねて、バックに入れて行った。 ふむふむと読み出したのはいいが、ところどころで、もうこらえきれないほどおかしくなってきて、人込の中だというのに、私は声を押し殺して笑ってしまった。次ぎの駅で降りて、おもいっきり腹を抱えて笑いたいと思うほどだった。そしてはまった。 私の場合、はまると、もうそればっかりになる。この前は高橋たか子にはまっていて、図書館で借りられるものは片っ端から読み、出版社から、買えるものはすべて送ってもらい(絶版になっているものが大半だった)神田の古本屋でも捜した。半年ほどその中にどっぷり浸りきっていて、息子から「お母さん、修道院に入るなんて言わないでよ。」といわれた。まさかーなんて口では言うものの、フランスの沙漠の修道院をひとりで訪ねて行きたい気持ちはかなり高まっていた。はまった分、私は影響も受ける。書くもの、言うこと、高橋たか子風になっていた。 昨夜のこと、Aが、妙に明るい声で、「このごろ何かつんつんしていると思ったら、佐野洋子風にやってるの?」と言う。えっ、そんなこと、、、と言ってはみたものの何かそれっぽい。バサバサ切ったり、ぶっとばしたり、やたら、ワイルドなエネルギーに満ちている。これって真似? いや、そうじゃない。ショコラじゃないけど、彼女の文章で何か塞がっていた通路が開いて、ある部分が解放されたにちがいない。私の中にもともとあるエネルギーが流れだしたのだと思う。しばらくここに乗ってみよう。
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