たりたの日記
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冬物のジャンバーやら、セーターを洗い。何枚ものシャツにアイロンをかける。かけながら久し振りにテレビのスイッチを入れる。いっぺんに当たり前の日常という感じになる。 でもほとんどの場合、わたしはテレビの音がバックグランドに流れている日常の感じが好きではない。というよりその中にいることがひどく苦痛になる。とりわけて聞きたくないもの、見たくないものから支配されるのが耐え難く思われるのだ。読みたいものを読むか、聞きたいものを聞くか、そうでなければ頭の中であれこれと考えたりしていたい。 独り立ちする前、実家に居るのが苦痛だったのは、ひとつには朝から晩まで途絶えることのないテレビの音だった。自分は見ていないまでも、父がそして母がお互いを見ることもなく、あるいは娘や息子を見るのではなく、テレビを見るというその図が受け入れ難かった。たまに里帰りする時、母につきあって、いっしょに画面を見ながらも、二人がブラウン管に顔を向けているその様子をほんとの私がどこか外から眺めているようなのだ。 我が家にはダイニングにもリビングにもテレビはない。見たい人は隣の和室に行かねばならない。テレビが付いていても、和室の戸を閉めれば、音を聞かないでいることができる。そういうことをしているものだから、私は世の常識にひどく乏しい。 一人だけ、このテレビへの感じ方がすっかり同じ人間に出会ったことがある。 Dは子どもたちがテレビを見ている時、その音に気分が悪くなるほどだった言った。また誰もこの気持ちを共有したことがなかったとも言った。さらには、子どもの頃の彼女の話しを聞いて初めて、自分も持っていた同じ感情をあらためて意識した。 思春期の頃、独りで夜更かしをするようになり、誰もが寝ているのに、自分だけ起きており、ただテレビがしゃべっている。少しもおもしろくなく、見たくはないのに、テレビを消して訪れる静寂が耐えられない気がして、いつまでもただただ消せずに見ている、そんな同じ少女時代のひとこまが浮び上がってきた。違っているのは私は九州の小さな田舎の町に育っていて、彼女はマンハッタンのビレッジでボヘミアンのアーティストを両親に育っていたということ。また世代も彼女はわたしより10歳年上だった。私の過ぎた時間の中にある言葉にできない、恐れやさびしさや虚無感を私は初めて自分以外の人間の過ぎた時間の中に見て強い共感を覚えた。私が彼女にfall in loveしてしまったのは、その共感のせいだろうと思う。私はまるで初めて友というものに出会ったように、独りでこもって閉じていきた過去のドアを彼女といっしょに一枚、一枚開けていったのだった。開く度に、そこに閉じ込めたものの正体を知った。閉じ込めていたものを外に出す時には、二人とも泣いた。確かに私たちは話しながらたくさん泣いた。こんなに少ないシンプルな言葉で私たちはなんて深いことを話しているのだろうと彼女は言ったけど、話しているのは言葉ではなく、その向こうにあるものだったような気がする。言葉にしないまでも、伝わるものがある。多くの言葉を知らなかったからこそ開いた通路であったのかも知れない。彼女の傍らにいてその深い哀しみを身に受けながら、それに慰められている自分を感じていた。何もしゃべらずに彼女の痛みの中に入っていた。不思議な想いだった。 Dの息子もこの秋には大学生となる。母の役割から解かれることを彼女がそれほど心待ちにしていたか知っている。そしてその時、そのことが淋しくて泣くことも。
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