たりたの日記
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火曜日と水曜日は仕事に出る日。 昨日は仕事の帰りA( 夫のこと、アからはじまるファーストネームで呼んでいる)と、駅で待ち合わせていた。彼が何年か振りに夏のスーツを新調するのに付き合うためだ。 彼はめったに服を買おうとしない。わたしも本人がそれでよければあれこれ口をはさむ気もなく誕生日やクリスマスに私の好みのものを贈るほかは、本人に任せている。だいたい自分の買い物もできるならばしたくないほどだもの。特にデパートは苦手、紳士スーツ売り場など持って他。ところが今回はなぜか違っていた。息子の入学式の衣装を買うのにさんざんつきあわされ、どこの店にどういう服があるのか、少しは明るくなった。その上、気に入ったイタリアのブランドが見つかった。それで迷わず、Aをそこへ連れていく。店員の方もこの前お世話になった人だった。我々にしては珍しく素早い決断でついでにシャツとネクタイも合わせ、とても満足のいく買い物となった。子ども達は帰りが遅いことだし、久し振りに居酒屋へ。 楽しく食べて飲む。 Aは実のところ一番いっしょにいて楽しい友だちだ。20代で出会った頃からその気分は変わっていない。お互いにかなり飽っぽく、忍耐力に欠けており、退屈なことには耐えられない牡羊座どうしである。お互いにいまだに飽いていないというのはもうミステリアスとしか言い様がない。 ひとつには Aはどこか透けている。変な表現だけど、何か透明なのだ。いくら近くにいてもすっとその体を通って向こうへいけるような感じがしている。かなり強烈な自己を持ち、譲らず、混じろうとしない頑固ものなのに、私自身の自我がブロックされることがない。ある意味、どういう人にもわたしは何らかのブロックを感じて、疲れたり、自分を出せなかったり、孤独になったりすることの方が多いのに。彼にとっては私も透けているらしい。
Aが私の日常に入って来るようになった時、羽根が生えたように自分が軽くなったことを覚えている。いくつものしがらみがはらはらと解けて、私は実際、空に舞ったのだった。親からも友だちからもふるさとからも離れて、どこまでも遠くへゆけると思った。 20年前、Aの待つ羽田に向けて飛び立った飛行機の中で味わった歓喜を思い出す。
恋愛、私の知り得るそれは、人を支配する。所有したいと思ったり、愛を確認したいと思ったり、嫉妬に縛られたりする。軽くなることはなく、ぐいぐいと地へ死の縁まで引きずりこまれる。捕われていく私を見て、相手が恐れをなして去っていくか、あるいは自分から捕われの綱をちぎり切るかだった。
Aとの関係をここに来て有り難く思う。お互いそろそろ父の役割から、また母の役割から解かれさらに自由になっていく。 今日はいつもより仕事が長引いて、いつもの時間を2時間も過ぎて駅にいた。「やあ、奥さん」という声に驚いて振り向くと、いつもより2時間早く駅に現れたAがいた。「気が合うね。」と言いながら仲良く電車に揺られ家へと向かった。
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