| 2004年09月30日(木) |
☆トンキーとインディラ・1 |
NHKの「その時歴史は動いた」という番組で、戦時中やむなく殺されてしまった 象の話と、戦後子供達の願いで新しい象を迎えるまでの経緯を放送した。
「トンキー」・・・その名前を聞いただけで涙が出てきてしまう。 トンキーのことを本で読んだのは小学生のときだったと思うが あまりの悲しさでそれ以後、心の中でずっと封印してしまっていた。
トンキーを知らない人の為に少しだけ説明を。
当時の上野動物園で、一番の人気者は象のトンキーだった。 戦火が激しくなると空襲にあった際、動物園から猛獣や 大きな動物達が外に出てしまうのは危険なこととされ 多くの動物に「射殺」もしくは「毒殺」の命令が下された。 とはいえ「ピストルの弾」はとても貴重なものになっていたので 毒入りのえさを食べさせられて多くの動物は命を奪われた。 けれど頭のいいトンキーは毒入りを見抜き、えさを食べなかった。
そんなトンキー達に(別にもう2頭の象がいた)下された方法は 「餓死」させること。 トンキーは餌をもらおうと飼育係の人に芸を見せる。 前足を上げて餌をねだるトンキーに、えさをあげることが出来ずに 飼育係の人は毎日泣いていた。
実際にトンキーが息を引き取るまで1ヶ月かかった。 他の2頭のほうが先に亡くなりトンキーが最後だった。
そして上野動物園から人気者の動物達がいなくなってしまった。
終戦を迎えて数年後、まだまだ東京は瓦礫の街だったが 台東区の子供達は国会を真似たような「子供議会」を作って 動物園に象を呼ぶ事は出来ないか話し合っていた。 新聞に掲載されたある子供の投書がきっかけだった。 「ぼくの妹は小さいときに見た象を忘れてしまっています。 もう一度象を見せてあげたい。」というような投書だった。 名古屋にある東山動物園には2頭の象が生き延びていたので 1頭借りることは出来ないかということになった。 代表2名が東山動物園に行って(もちろん台東区の大人たちの協力で) 象を貸してくれるように頼んだが、2頭の象も食料を満足に食べていないので 弱っていること、仲良しなので離れ離れに出来ないとの事で断られてしまう。 実際に子供の前で、2頭の象を引き離して見せると 2頭はお互いを呼び合い悲しい声で鳴いた。 しかも、離した1頭を戻して一緒にさせると鼻を絡め合わせて 安心したように頭をぶつけ合う。 その姿を見て代表の子供達も「これは無理だ」と思った。 あきらめきれなかった代表は愛知の県知事に面会に行ったが そこで女の子の代表はこらえ切れずに大泣きしてしまった。 このままでは東京で待っているみんなに申し訳ないと思ったのだ。 それがまた新聞の記事になり泣いている少女が写真で掲載された。
その時たまたま貿易の仕事で来ていたインドの商社マンが 日本の商社の人に「子供が象を欲しがっていると聞きましたが本当ですか?」 と尋ねたのがきっかけでインドから象が来ることになる。
明日の日記に続く
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