サーモンピンク・フラミンゴ
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2009年01月23日(金) |
親へのカムアウト・2 |
母に 「お母さん、ワタシは男の人も好きになるけど、でも女の人の方が好きなの。 そして、結婚しているような気持ちで、きょんと暮らしてるんだよ」
と伝えたところで泣きそうになったけど、ぐっとこらえまして。 たぶんワタシ、えらく挑戦的な顔つきで母と対峙していたはずです。 しかもなぜかこのとき、ふたりとも応接間で、立って話をしておりましたので、なんか無意味な迫力もあったはず。
母、しばらくあんぐりした後に
「女の人のほうが好きって・・・それはいつ頃から?」と。 「もう、すごく小さい頃から」
沈 黙 。
「なんでもっと早く言わなかったの?」 と母。
へ?
どういう意味だろう・・・。
「だって・・・ガッカリしたでしょ、今だって・・・」とワタシ。ちょっと弱気モードに。 「しないよ? ビックリはしたけど、ガッカリなんてしないよ」
真偽のほどはさておき、ガッカリしない、と聞いてちょっとホッとしたのは事実なんですが。 でもビックリはするのか・・・と、母が本当に何も気付いていなかったのならそれはあたりまえのことなのに、小さなことにもショックを受けるじょりぃ。 なにしろちゃんとした「カムアウト」なんて、つきあった子以外にしたことなかったですしワタシ。 それだって、ちゃんとカムしたわけではなく、「つきあった」ということで、まあそういうことだよってことになってたわけですし。 なのに「絶対知られたくない」と思っていた親を相手に、生まれて初めてのカムアウト。 小さなことにもじょりぃの心の振り子は大きくぶんぶん振れまくりなのでございます。
「今までずっとそれ隠してたの?」と母。 「だって、ワタシはいつだって『いいこ』でいなきゃ、居場所なくなっちゃうもん」
と言った時点で、ぽろりと涙が。 そうか。 それでワタシは必死だったのか。 と、自分でもこのとき気付くというのんきぶり。 しかし、「ヘテロセクシャルでないことを隠す」ということが「いいこ」の条件だと頑なに思っていたとは、今思えば愚かですし、自分で言うのもなんですが、かわいそうだったね、じょりぃ。
「なんでそんなこと思うの?」 「だってお母さん、ワタシよりメエ(妹)の方が大事じゃん。 これ以上ガッカリさせたら、ワタシ家の中に居場所ないもん」
この時点で、もう、えぐっえぐっとしゃくりあげて泣き出すワタシ。カッコワルイ。ちなみに確か、じょりぃ30歳。 いい年してそんなに泣くなっつーの。
今考えると、当時のワタシにとっては、もしかしたら母に対しては、「レズビアンです」というカムアウトよりも「お母さんは妹のほうが好きだから、ワタシはそれが悲しかった」というカムアウトの方が大きかったのかも、という気もします。
そして、母、それを聞いてさらにあんぐり。
「なんでそんなこと思うの?」 <二度目 「いつだってそうだったじゃん。 メエさえシアワセでいればワタシのことなんてどうでもいいみたいだったし。 お母さんのアタマの中って、メエのことしかないじゃん」 えぐっ えぐっ
ここでみなさまも母同様、「じょりぃは何をつまらないことでひがんどるんじゃ?」とお思いのことと思いますので、 「母は妹のが大事」について説明させていただきます。
まず、これはしかたないことなんですが、2歳にならないうちにワタシは妹に母親を取られました。 「取られました」という言い方、ちょっと大人げないですが、1歳11カ月のワタシにしてみれば、気持ちとしてはそんなもんだろうと思います。 アルバムなんか見ていても、母が赤ちゃんの妹を抱っこしている姿を、ワタシが泣きそうな顔で見つめている写真がちらほらとあったりします。 父による「早くにおねえちゃんになってしまって、じょりぃの表情がさびしそう」みたいなコメントもついていたりして。 そして、家族で出かけて親と手をつなぐ、なんてときは、もう必ず 母=メエ、父=じょりぃ という組合せ。 ワタシは父も大好きだったので、父と手をつなぐことに不満はなかったのですが、大人になって知恵がついてから思うに、母親とのスキンシップが全然足りてなかったんですわ。 母はもともとスキンシップがあまり得意な人でなかったので、ワタシが記憶をたどれる限りでは、ワタシには「母のぬくもり」とか、よくわかりません。 赤ちゃんのときは、そりゃそれなりにあったでしょうけど。 物心ついてからは、ホント、ない。(そんな人わんさかいるでしょうけどね) 妹が大きくなってくると、条件はワタシと同じになったのですが(それでも母と手をつなぐのは妹だった)(根に持ってます)、妹はワタシと違って、母に 「ほらー、べたべたしてるとお料理できないでしょー」 とか言われても「えへへー(*´∀`*)」なんて甘えられる子だったんです。母もかわいかったことでしょう。 しかしワタシにはそれができなかった。 妹、いいなー(´・ω・`) と強く思いつつ、「メエは甘ったれなんだからー」とかお姉さんぶってクールな顔している子どもだったのであります。
しかしまあ、ここまではある程度どこにでもある「まあ、そんなもんだよ」という話でもあります。 ワタシも大人げないというか子どもげないというか、「お母さーん、じょりぃとも手をつないでー」って甘えればそれでよかったのに。 それをせずに、悶々といじけまくっていたワタシの幼少時代。(今も一緒か ァ'`,、('∀`)) ということで、ワタシの資質にも問題があります。
それに加えて、小学校に上がってから3年ほど、母はひどくワタシに冷たく接するようになったのです。 何を怒っているのかわからない状態で、無視され続けます。(妹にはそんなことないんですよこれが) これはですねー、ホント、あとあとまでワタシの中で傷になりましたし、母を恨みました。 夜おふとんの中で「お母さんなんて死んじゃえばいい」と思ったそのすぐ後に、「お母さんが死んじゃったらどうしよう」と思って、怖くてひとりで泣いていたりしました。 が。 これについては、もうホントについ最近、「お母さん、うつ病だったことがあるんだよねー」とさくっと打ち明けられ。 よくよく話を聞いてみたら、上記の時期に合致。 「もう死にたくて死にたくて。でも子どものこと考えると死ねなくて、ホントつらかった」そうで。 そりゃ気の毒だったな! と、なんかウソみたいにコロっと許せちゃいました。死なないでくれてよかった。 藁にもすがる思いでいろんな本を読んで「森田療法」を試してみたら、だんだん良くなったそうです。 あなどれません、森田療法。 そして大人になった今その話を聞いて、「ワタシに当たって妹には当たらなかった」というのもなんだか納得できます。 まず、長女(しかも第一子)と母親の結びつきって、二番目以降のそれとは心理的に違う気がします。 自分と相手との区別がつきづらいというか。分離しづらいというか。距離を置きづらいというか。 子どもと大人なのに、変に対等というか(本人たちは無自覚)、非常にバランスの悪い「近さ」があるように思うのです。 だからやつあたりも多くなるのも頷けます。 それに加えて、ワタシは神経質でちょっとしたことでも傷ついちゃうような弱虫でしたので、母のイライラが増幅することになります。
話がそれました(°▽°) まあ、上記は大人になってから聞いたので「なんだそうだったのかかわいそうに」とシンプルに同情しましたが、つらく当たられていた当時のワタシには単に 「お母さんはワタシだけ無視する。謝っても『なんで謝るの?』って怒る。(<自分でもなんでだかわからないけど母が怒っている気がしたので必死に謝った) どうしたらいいかわからない。怖い」 という気持ちで小学校低学年時代を過ごしたわけであります。 やさしいときも多かったんですけどね。波というか、気分の上下が激しかったんです。 でもだから、ナナが子どもたちに当たりながら泣きながら奮闘している様を近くで見られたのはワタシには救いでした。 母の「うつだったんだよね」を聞く前から、「ナナのやってることはたまにメチャクチャだけど、それでもこんなに子どものことばっか考えてるんだなー」というのを間近に見て、それが自分と母の姿に投影され、自分はやっぱり愛されてたんだなーと思うことができたりしたのであります。
また話がそれた。戻します。
で、母への不信が決定的になったのは、妹がグレちゃってからでした。 しかもまあ、グレかたがハンパなかったもんですからね。 妹が16歳で家出して、ヤクザ関係のチンピラと同棲を始めたあたりから、母の脳内がおかしくなってきちゃいまして。 その数年前に、シンナーでラリラリしまくっている妹を見たときも、かなりキちゃってたみたいですが、母。 妹、ワタシより勉強も運動もできる子でしたし。 かわいくて優秀な(と両親だけが思う)自分の子がそんなことになるなんて!と、脳みそがパニックを起こしたようであります。
まあ、妹の素行の細かい話は省きますが、ワタシの16歳から20歳くらいにかけては、平和ボケしているような我が家にとっては「たかが子どもがひとりグレただけ」とはいえ、暗黒時代でありました。 過ぎてしまった今となっては笑い話ですし、妹のおかげで家族が成長したわけですが、渦中では「これが一生続くんだろうか。続くんだろうな」と思っちゃいますしね。
父は単身赴任で家におらず、帰ってくれば必ずワタシは「お母さんを頼むよ」と言われ。 たまに父から来る手紙にも、最後には必ず「お母さんをよろしく。じょりぃさんだけが頼りです」と書かれ。 それ自体はプレッシャーにはならなかったんですが、ワタシは母を守ることに必死でありました。 一時期はホントに「お母さん、頭がおかしくなっちゃったのかな?」ってときもありまして。 母は血尿出まくってましたし。真っ赤っかなの、おしっこ。
そしてその頃になると、何の話をしていても、メエの話に結びつけます、母。 ワタシが学校であった話をしていても「そういえばメエも・・・」。 ワタシの悩みを話していても「でもメエはさ・・・」。 とにかく「ワタシ」に関する話もすべて、いつの間にかというか早々にメエの話になってしまうのです。
そして、メエの話をするたびに泣くのであります。 ワタシはそれをひたすら慰めます。 ワタシの話、またどっか行っちゃったー、と思いながら。
たまに慰めるつもりで「お母さんにこんなに心配かけて、メエも困ったヤツだー」みたいなことを言うと、 「メエは悪くないんだよ! メエのこと悪く言うのはやめて!」とワタシを責めてから、また泣きます。 ワタシだって泣きたい、そんなの。(だいたい、いつだって無条件でメエの味方だったのはワタシだよっつー話)
ワタシはこの家になくてはならない、透明な存在になりました。 ワタシは必要なんですよ、明らかに。 母にとっても父にとってもメエにとっても。 でも、父もメエもここにはいない。 ただひとり、一緒に暮らしている母の目には、ワタシは映っていなかったのです。 それでもワタシがいなきゃ壊れちゃいそうだったのです。 ワタシは必死でした。 でもなんだか悲しくて悲しくて、でもそれを表に出せばまた余計にお母さんおかしくなっちゃうと思って。 だんだん、母親が憎くなりました。 大好きで、大嫌いでした。(これは小さい時からか) この人、ワタシのことなーーーーーんにも理解してくれない。 昔からそうだった。ワタシのことは二の次だった。 妹のほうがかわいくてしかたないんだ。 でもワタシ、どうせ不良品だし。(セクのことで、当時はまだこんな風に自分を卑下しておりました) 妹の次、って存在でもしかたないのかも。 両親から愛されていないわけではないし、ワタシがそれで満足していれば家族がうまく機能していくなら、それでいいやもう。
という気持ちでまだいた頃に、ナナと一時的な再会を果たしていたワタシ。 後に「あの頃はお母さんのこと、憎んでいたみたいだったもんね」と言われまして、そんな、久しぶりに会った友にそう思われるほどだったのかーと自分で驚いたものでしたが。 そして、ナナと仲良くなってから割と早いうちに 「3人子どもがいてさ、この子がいちばんかわいい!とか、思ったりするもの?」なんて聞いてみたりして。 ナナの答は 「個性がそれぞれ違うから、その子に対する思い方というのは違うけれども、みんな同じにかわいいよ」 というもので、それをナナから聞いただけでも少し癒されるような気がしたものでした。
セクでない部分に字数を稼いでしまいましたが。 しかもワタシなんて恵まれた環境で育ったと思うのに、つまんねえことぐじぐじ考えて、いじけてるわなんだかひたってるわで、もうホント恥ずかしいんですけれども。 が、これもワタシのカムにとっては、親へのカムであるだけに、家族背景というのは大事な話ですし、この後の話にも関係してくるので許してくださいませ。
で、「メエのほうが大事なんでしょ」と言われて、母、唖然呆然硬直状態、というところに戻ります。 行ったり来たり慌ただしくてすんません。
えぐえぐ泣いているワタシに、母が言いました。
「おまえよりメエの方が大事なんて、そんなことあるわけないでしょ?」 「・・・・・」
そらそう言うわな、という気分のじょりぃ。 でも、上記の長い恨み言(笑)は伝えませんでした。
「お母さんとしてはさ、逆の感情は生まれそうで怖いなって思ったことはあったよ」と母。 「・・・逆って?」 えぐっ えぐっ 「ちいさい頃はカラダが弱かったってこともあったから、どうしてもじょりぃに比重が偏ったし」 「・・・・・・」 なんだそんなことか (゚д゚)、ペ 「それにじょりぃはとにかくやさしくていいこでさ。いいこ過ぎて心配だったくらいだし。(必死でしたからねワタシ!) なんていうか・・・おまえは特別な子だよね。お母さんだけじゃない、無条件に誰からも愛される特別な子なんだよ」
そ・・・それは・・・親(バカ)だから思うことだと・・・(°▽°;)
「じょりぃよりメエの方が大事、なんてことは絶対ないよ。そんなこと思ったことない」 「・・・・・・」 「それより、おまえが何を考えているのか、いつもお母さんにはよくわからなくて、それは不安だった」 「わからないって?」 「思ってること言わないでしょ? 何かね、いつもいつも、少しさびしそうに見えるんだよね」
そりゃあんたのせいもあるんじゃないの? ・・・と、もうひとつか。 本日のカムアウト、両方とも原因か。
「なんでそんなに思ってること言わないの?」と母。 「秘密があったから」 「それはさっき言った、女の人のほうが好きってこと?」 「うん」
セクに関係ない自分語りで無駄に字数を稼いでしまったので、肝心のセクの話になったところで終わりにせねばなりません。 わざとじゃないんですわざとじゃないんです。
ということで、まだ続きます。スミマセン。
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