サーモンピンク・フラミンゴ
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2007年03月26日(月) |
ゲイソングについて考えてみました【その1】 |
長いですよ!いつもですけど。いつもよりさらに長いです。スンマセン そして最初におことわりしておきますが、以下の文章の「ゲイ」という言葉には、レズビアンとバイセクシュアルも含んでおります。大雑把でスミマセン。 要はここでは「同性も好きになる人」というくくりで「ゲイ」って言っちゃいます。
ええと、倖田來未の新曲「BUT」が、あちこちのゲイ関連サイトやブログで物議をかもしておりますが。 ちなみにワタシはまだこの曲を聴いたことがありません。 さらに言えば、各所で書かれている中での引用でしか歌詞も知りませんでした。 ただ、曲と一緒に問題にされている、新曲に関するインタビューは読みました。こちらです。
この「BUT問題」については、みやきちさんのはてな日記のエントリがわかりやすいですし、ワタシも「ふむふむ。なるほど。こりゃひでぇ(みやきちさんがでなくて、もちろん歌が)」と思いましたので、リンクさせていただきます。 ワタシは倖田來未が「BUT」という新曲を出したということも知らない状態で、まずみやきちさんの文章を拝見し、興味を持ち、自分でも何か書いてみようかなーと思ったわけなので、みやきちさんの文章を先にご覧になっていただいたほうが、この後の文章の流れがわかりやすいかもしれません。
■倖田來未は男にも女にも股を開けるのかもしれないけど、同性愛者はそうじゃないのよね
■「愛に性別は関係ない」の正体
(みやきち日記 より)
が、しかし。
この時点では、上記でも申し上げましたとおり、ワタシは「BUT」という問題の曲を引用程度にしか知らなかったものですから。 まだ自分なりの判断というのは下していなかったのであります。 みやきちさん、及び、みやきちさんのエントリにトラックバックされている、同じ主旨の方々のおっしゃっていることも「うん、こりゃもっともだ」と読ませていただいたのですが、そこはやはり人様の脳みそで生まれたものでございますから。 ワタシもワタシなりに何か考えてみようーっと。 と思いまして。
で、この時点で。
この曲って、倖田來未がホントに「オレ様ヘテロ無神経視点」(これはワタシが考えた言葉です)で書いてしまったのか(※ヘテロがみんなオレ様という意味では全然ありません。おわかりかとは思いますが)、 それとも、倖田來未がまだ若くてモノも知らなくて、しかも売れっ子歌手で「あんたそれちょっと違うんじゃないの?」と言ってくれる人もいなくて、ボキャブラリーも貧困なために、言いたいことがうまく伝わらなかったのか。 要するに、思っていること・感じていることはワタシたちゲイ側と同じもの、あるいは正しい同情の気持ちを持っていながら、若さと無知ゆえに「あららアイタタタ」になってしまったのか、ということが、ワタシの中で引っかかっていたのであります。 まあ、若くても賢くてこちらが教えを請いたいような方もたくさんいらっしゃいますが、少なくともワタシが倖田さんくらいの年齢のときは、自分天下でしたしバカでした。ものさしも自分の目盛りで自分の単位で自分の長さのもの1本しか持っていませんでしたし。
もうひとつ。 もしオレ様ヘテロ無神経視点で上からモノ言って「あたし同性愛者の味方よー」と大した態度と思われるようなソレだったとしても、「だって、気になっちゃったからそう言ってあげたかったんだもーん」ということであれば、まあ若いし上記と同じ理由で見逃してやってもいいんじゃないかなー、という、いつものワタシの甘い考えもあったりしました。 なんにせよ、「ゲイ死ね!」じゃなくて「あたしはわかってあげてるから」(たいした態度ですが)という、どちらかと言えばこちらに寄ってくれているスタンスなわけですから。 ここでゲイの懐の深さを見せてやって、大目に見てやってもいいのかもー、と。(ワタシも大した態度ですが!) 「コドモの失敗は成功への道しるべ」的、大甘な考えですが。 影響力のある歌手の歌と発言だからこそ、みなさんあえて声を大にして「それは違うんじゃないか」と言っているのはよくわかるのです。 でも少しくらい「まあまあ」という人間がいると、なんというかこう、バランス取れるのかしら?という、よくわからないことをちらりと考えたりもしました。
あと考えられるのが、エイベックスのマーケティングのアホさゆるさであります。 みやきちさんが別エントリでも書かれてますが、ゲイ市場というのもバカに出来なくなって参りましたから、そこを狙うのは賢いやりかたであったはずなのです。 ゲイに「ブラボー!」と受け入れられ、ヘテロにも「なるほど同性愛」と受け入れてもらえれば、みんなにこにこ・印税がっぽりで、ウルトラメガハッピーになったはず。 そしてそれは、緻密で心配りの十分なマーケティングがなされていれば可能だったはずなのです。 何しろ、ネット上だけでもまともな文章書いているゲイを含んだセクマイはたくさんいるんですから、それらを読むだけでも「これやったらゲイ連中は怒るよな」「なるほど、ゲイの感覚とはこういうものか」というアンテナは立てられたはずだと思うのですよ。
なーんてことを考えつつ、問題の「BUT」の歌詞を見てみました。 ちなみに、ワタシは倖田來未に対しては好きもキライもまったく思い入れはありません。 たまにレコード屋でプロモがかかっていたりして踊っているところを見ると「おおぅ☆(*´∀`*)色ッペー」と思う、そんな程度。
で、BUTの歌詞がこちら。読んでみましたよ?
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BUT 歌手:倖田來未 作詞:Kumi Koda 作曲:Tommy Henriksen
この世に人生の選択肢があるならば 今夜この場所に行ってみれば True 君の Eyes で確かめるコトになるでしょう 躊躇しないで前だけを見て 踊ってみればいいだけよ 時間がないのミラーボールのように 自由に STEP!!
※You know you love yourself But 逃げてばかりね? You know you love yourself But はまってゆく You know you love yourself But 目をふさいでる You know you love yourself But あなたがいる※
△止められない鼓動と体とリズムを Hey boy 君とこのまま 最後までと決めた 今すぐ近くにきて感じてほしい But△
もしも私が 今夜君のドア ノックしなければ 君は永遠のベール 包まれたままだったのね どう? どっちが幸せだったの?? 本当はもう 抜けられない 体になっているんでしょ?? 誰も笑わせないからそう 後悔させたりしないから
(※くり返し) (△くり返し)
君とこのまま… 止められない鼓動と…
(※くり返し×2)
止められない鼓動と体とリズムを Hey boy You know you love yourself 君とこのまま 最後までと決めた You know you love yourself 今すぐ近くにきて感じてほしい But
***********
歌詞見ただけでは、同性愛の歌なんだか二次元ヲタ引きこもり応援ソングなんだかさっぱりわかりませんが、倖田來未自身が「同性愛者に」というようなことをインタビューで話しております。
で、ワタシがこれを見た感想です。
( ^ ∀ ^ ) 倖田來未も、思っていること・感じていることはワタシたちゲイ側と同じもの、あるいは正しい同情の気持を持っていながら、若さと無知ゆえに「あららアイタタタ」になってしまったで済ませちゃっていいのかなワタシ!? Σ(゚Д゚;)
実は少し倖田來未に同情した状態で、ワタシはこの歌詞読みに取り組んだのですが。 だってみやきちさんと倖田來未のケンカでは、倖田來未が勝てるわけないんだもん(・∀・)デショ? (別にみやきちさんは倖田來未にケンカ売ってるわけではありませんが)
あーちすと が、感性のままに表現したものを、重箱の隅をつつくように検証していくのも無粋かしらー、という気持ちがないでもないんですが、ワタシもともと重箱の隅をつつく性格なのでちょいと失礼させていただきますよ?よっこいしょと。 (※追記:以下の感想は、純粋に歌詞からだけの印象でなく、インタビューを読んだ際の倖田來未の発言もからめた印象のものになっちゃってます)(と、今読み直して気付きました)
心穏やかに読み始めたはずだったのですが、「逃げてばかりね?」というところで、なんとも言えない感情が、体中をむずむずもわもわと駆け抜けまして。 逃げてるのかしら。ワタシたち。ていうか、何なんでしょうその決めつけ。
次に「目をふさいでる」でまたむずむずもわもわと。 ふさいでる場合じゃないのよアタシたち! 目ん玉ひんむいて、常に様子をうかがってなきゃならない、それがセオリーなのであります。 常に「ゲイバレしないように」と人目を気にして生きてきた、それがワタシたち。ていうか、少なくともワタシ。 倖田はんの言いたいことはもしかしたら違うことなのかもしれませんが。 しれませんが、リサーチ不足なのは否めません。ちょっと無神経風味。
「もしも私が 今夜君のドア ノックしなければ 君は永遠のベール 包まれたままだったのね どう?」
どう? って言われましても・・・。 それは「あたしが歌ってあげたから、ほら、いいきっかけになるでしょ。いけー!」ということでしょうか。 困るわー。丸腰でいきなりレバノンに放り出されるようなものです。 ということを、まるでわかっていらっしゃらない。 まあ、当事者でなければわからないことかもしれませんが。 そういうことは、ワタシだってたくさんたくさんあります。 当事者でなければわからないことを、わかった風な感じでうかつな発言をしてしまい、穴があったらさらに掘ってブラジルまで逃げてしまいたくなるような経験は誰しもあると思います。 倖田來未の場合は、それが「売れっ子の歌う歌」であり、さらに「それに追い打ちをかけるようなインタビューを発表してしまった」というところで事が大きくなってしまったわけです。 が、影響力のある人間であるという自覚があるのなら、そのへんに気を遣う、悪く言えば奸智のようなものが必要だったように思います。 せめて周りの人が何か言ってあげればよかったのにー。 こういうのって、本人ではなかなか気付けないんですから。 周りのオトナ!しっかりしてやってくれ!
「どっちが幸せだったの??」
どっちがも何も、セクというのは選びようがないんです倖田センセー。 でもいっしょーけんめーあたちたちのこと考えてくれたんですよね。その心意気は汲みます。 汲みますけど、何か悲しい気持にばかりなるのはなぜなんでしょう。ぐっすん。
「本当はもう 抜けられない 体になっているんでしょ??」
・・・・・・。(脱力してたれぱんだ状態のじょりぃ) こんな体に誰がした。 答は神様です。 倖田センセーは、神様に歌ってくださると良いと思います。 そして、一部の神様の間では、ワタシたち地獄行きになっちゃってるらしいので、そのへんを、こう、倖田さんのあのキュウトな魅力で説得してきていただけると嬉しいなーなんて思います。イヤミでなく心から。地獄はイヤー。
「誰も笑わせないからそう 後悔させたりしないから」
うん。すごく激しくお願いします。それができるのなら。 これも心からお願いしたく存知候たてまつります。 ていうか、ワタシたち、笑われているのか。がーーーん(´д`) それに後悔も別にしてn(まあいいや)
なんかツカレタ( ´_ゝ`) そして悲しくなった(つд-。)
ただ、倖田來未に「悪気」はなかったであろう、ということは、ワタシとしては認めて差し上げたく思うのであります。 悪気がなきゃ何してもいいのかよ、とか、「じょりぃちゃん、悪意や悪気があって何かする人なんて滅多にいないんだよ?」と年下の同僚に諭されたことなども思い出しますが、でもやっぱり、倖田來未に「あたしは同性愛者の味方です」という心意気があったのであれば、そして若さと無知ゆえの足りなさであったのならば、そのへんの意は汲みたいなあと思ったりします。 思ったりしながら、上記ではけっこう好き勝手言ってますが。 それはそれ、これはこれ。 上記はワタシの感じたことであり、「倖田來未の意を汲みたい」というのは、ワタシの良しとするところ、であります。
さて。 倖田來未の「BUT」については、ここで一区切りなんですが。 倖田來未は、もしかしたら伝えたいことをうまく伝えられなかっただけなんじゃないかな?と広い心で考えた場合、では、うまく伝えられているゲイソングって?と思い出してみました。
と、ここでエンピツから「文字数多すぎてダメよーん」と、アップを拒否されてしまったので、文章をふたつに分けます。 次の日記で、「これはじょりぃ、好きです」というゲイソングをご紹介しつつ、このテーマをまとめようと思います。
つづく
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