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2008年09月22日(月) |
現場の感じる不安をどうするの |
ISCARでは協働関連のテーマが多かったと思う。そのなかでは最終日の実践発達的研究についてのセッションはよかった。発表ももちろんわかりやすかったけれど、その後の討議がよかった。「よかった」というか、いわれてみれば当たり前のことだが、海外でも、どんな理論を使っている人でも「現場にでて現場を変えようとすると苦労している」ことがわかった。
個々の発表は、いずれも実践をどう変えるかということにこだわっていたためか、フロアからは実践を構成する人々のことをどう考えるのかという話がでた。いわく「実践を変えるというとき、その場に参加している人は不安を感じる。この不安をどうとらえるのか」という質問であった。ある参加者は「実践者らは不安になるというが、もともと彼らは不安なのではない。彼らは実践者としてよくやっていると思っている。それを研究者が入ってきて変われということで、一気に彼らの自信をこわすのだ」といった発言をしていたように思う。
実感として、不安の感じ方はさまざまだろう。現場の人々は「自分達の実践がこれでいいのかわからない」という漠然とした不安を抱えていて、ぜひとも研究者に聞きたいと考えていることもあるだろうし、不安を感じるまもなく新しい実践にとびついたり、法律や技法にうるさくなったりすることもあるだろうし、先程の質問にあるように外部から変化を求められて戦々恐々となって迫害的不安を感じることもあるだろう。一律に研究者が「現場の人はこうだから」とあてはめ的に考えるのもよくないですね。
それはともかく、セッションは不安の話から倫理の話へと発展し、「実践に入っていくからには、自分たちは必ずしも招かれていないのに人々に苦労を強いるのだということを考えなければならない」というような心構え的な話がきかれたり、「経験上(うまくいくようになるには)3年かかる。1年目は辛い。」という経験則を語る人がいたりで、理論的な話では全然ないけれど、どこでもだいたいそうなんだなと生々しくて親しみがもてるなと思った次第。
論文になる頃にはそのような困難はのりこえられていて美しい話になっているのかな。
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hideaki
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