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2006年05月27日(土) 現場のうちとそと

愛媛のワークショップは無事終了。参加者は少なかったが、それなりに満足してもらえる議論だったのであるといいなと思います。

WSでは看護学は、研究者は実践者をかねており、最初からフィールドのなかにいる。心理学は(臨床心理学などをのぞけば)多くは純粋な研究者であり、フィールドにいかに入るかというところが大事な作業になってくる。このような、フィールドの内ー外ということが議論にもなった。まあ、たしかに素朴にはそのとおり。

しかし、ここでも内にいる、外にいるといったことは自明ではないだろう。その境界の組織化のされ方自体が問われなければならないんじゃないだろうか。

そもそも実践者と研究者をかねているといえば、臨床心理学もそうであり、私もいまは実践もしつつ研究活動もおこなっている。が、私は自分が最初からフィールドのなかにいると感じたことはない。フィールドエントリーは極めて重要である。フィールドに物理的にいたってなにもできなければしょうがないし、バリバリ仕事ができていたら、それがいいかどうかということはともかく、そこで見えなくなっているところと、見えているところというのが常にあるだろう。

要するに、内にいるか外にいるかということが大事なのではなくて、どのような役割をになってそのフィールドに関わっており、自分がしたいことと、実際にできることとの差をどうやったら埋められるのかというところが大事なんじゃないだろうか。

自分自身は、看護学(この看護学に社会学でもなんでも代入可能)と心理学がどう違うかといった議論にはほとんど関心がない。どんなことをしようとしているかは大事かもしれないが、それが○○学であるかどうかなんてどうでもよいだろう。

私が質的研究をはじめたころには、「これって心理学なの?」「松嶋くんは心理学やめちゃったの?」といった素朴な質問なりひやかしなりうけたものだが、どれだけ言われよう私が心理学者だといったら心理学者なのである。名乗るぐらいタダだ。名乗ったもん勝ちである。いや、違うといわれたら、その理由を聞き、議論すればいい。投稿して掲載拒否されれば悲しいけれど、それでも対話しつづけるしかない。

WSでは質的研究の書き方についての議論もでたのだが、これにしても上述の、自分が心理学者なのか、そうではないのかという対話と同じだ。患者なりクライエントなりの抱える苦しみを我が身にひきうけて、そのように記述しかないというところを、それでなくても記述できるという人と対話してみればよいという話だろう。そこに、もしかしたら患者やクライエントが社会とうまく関われるヒントがあるかもしれないんだから。







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