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2006年03月20日(月) やっぱり教えなければならないことはある?

昼からシンポジウム2連発。しかも同じ部屋。なんか変な感じ。

1回目は質的心理学の教育法のシンポジウム。保坂さんは発達的ワークリサーチによる教師の学びについて、杉浦さんは説得納得ゲームについてプレゼンされた。これらは質的心理学の教育法というテーマから逸脱するのではないかという意見もあるかもしれないが、そう簡単ではない。

質的研究であれ、なんであれ、教えるときにどのようなシステムを作ったらいいのかというのは、(ある程度理論的に導かれるとしても)個々の創意工夫にまかされている。また、どれだけいいシステムを作ったとしても、ユーザ−がそれをデザインされたとおりに使うとは限らない(うちの大学のデザインをみよ)。

結局、なにか「これは」と思うものを試してみて、そこでの人々の学習プロセスを詳細にみていくよりほかにない。そのときに保坂さんや杉浦さんの知見は役立つのだと思う。

さて、私たちのグループは、ナラティブデータにおける教育のあり方を、学習者が見えている部分に対して、見えていない部分を提示することで、学習者のアイデアを拡張していくことであると考えた。そのために教育者側がすべきことは、護られた環境を維持することだけだ。

これに対しては、やっぱりそうはいっても教えないといけないようなものがあるんじゃないかという意見も聞かれた。コラボレーションといっても、質問紙法も、実験も知らないで、いきなり学生にエスノグラフィーといってもコラボできるものではないというのだ。

もちろん、実践的にはある程度の基礎知識がなければ、次に進めないというのはそのとおりだし、卒論とか修士論文とか、時限が決まっているものをなんとかしなければならないというときに、何をどのタイミングで教えなければならないということはあるに違いない。

しかし、そんなことは当たり前なのである。コラボレーションというのはひとつの学習のあり方だ。ここから先はコラボ、ここから前は教え込みというものではないはずだ。

そもそも私は教育場面で、いわゆる「質問紙」「実験法」を教えているつもりはない。学生には教員として身につけてほしいもの(といっても具体的に「これ」といえるものではない)があり、その過程で「質問紙」や「実験法」を知っていることが、自分がぶつかっている課題に対してこんなに意味があるのだということ実感してほしいと思っているのだ。別に質問紙や実験でなくても、一例の詳細な観察であっても構わないと思う。










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