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2006年02月24日(金) ADHDへのナラティブ・アプローチ

David Nylund 、宮田敬一、窪田文子(監訳)『ADHDへのナラティブ・アプローチ:子どもと家族・支援者の新たな出発』金剛出版

著者はADHDとは生物学的な障害であり、リタリンによる薬物療法が有効であるという、現在では(少なくともアメリカでは)一般的になろうとしている見方に異議をとなえている。リタリンによる薬物療法は非常にあやしい前提に基づいており、一見もっともらしいけれども確たる根拠はないといっています。そして、そのように論じたうえで著者が導入するのはADHDへのスマート(SMART)アプローチです。これは以下の5段階の過程からなっています。

(S)eparating the problem of ADHD from the child:ADHDの問題を子どもから切り離す
(M)apping the influence of ADHD on he child and family:子どもや家族に対するADHDの影響を描き出す
(A)ttending to exceptions to the ADHD story:ADHD物語の例外に着目する
(R)eclaiming special abilities of children diagnosed with ADHD:ADHDと診断された子どもの特別な能力を取り戻す
(T)elling and celebrating the new story:新しい物語を語って祝福する

ここらへんのゴロあわせをするのが外国の人は上手いですね。要は、どんな場面でもその子を「ADHDとして」みてしまうことによって見失われてしまうものがたくさんあるということです。ADHDを外在化し、例外的にうまくやれていることをみつけだし、承認し、皆にその新しい達成を知らせてユニークな結果をひろげていこうということでしょう。いわゆる「ナラティブセラピー」の方法論をADHDに応用したものといえそうです。

全体的な方向性には納得できるのだけれど、薬物療法が怪しい前提に基づいており、根拠がそれほどないのを批判の根拠にしているのはどうなんでしょう。この理屈でいくと、さらに立派な薬になっていけば文句ないように読めますがそれでいいんでしょうか。そもそも、エビデンスとしては「有益である可能性が高い」レベルであり、心疾患などの副作用も指摘されていることから考えれば、ADHD=薬物療法というのが言い過ぎだというのは、(ナラティブとは正反対にみえる)エビデンスに基づいた医師でも同意することでしょう。その点で、著者は仮想的を勝手に作り上げてたたいているのではないかという感じを少しだけもちました。まあ、それは誰をターゲットにした本かということも関係するだろうから、一概にはいえませんけれども。

ADHDという診断が、子どもや両親にとってメリットのあるものにしたいと考えれば薬を飲んで終わりにはならないでしょう。これはADHDに限らず、ありとあらゆる障害にあてはまることだと思います。とかく「脳」とか「生物学的要因」というとみんなそこで思考停止してしまって、その先にいきにくいのですが、生物学的な要因が影響しているということと、障害が社会的な性質をもつこととは両立すると思います。

ところで、原題は"Treating Huckleberry Finn: A new narrative approach to working with kids diagnosedADD/ADHD"といい、第1章と最終章には、ハックルベリー・フィンが診察室を訪れるという設定が描かれているのがおもしろいです。


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