I create you to control me
DiaryINDEXpastwill


2005年10月12日(水) 女王の教室

別にいまさらって感じかもしれませんが、前に『女王の教室』ってドラマやってました。
途中から見始めて結構面白いなと思っていたんですが、最終回を見逃してしまい残念に思っていました。
そしたら、ドラマのサイトでダイジェストがみられるということで見てみました。

このドラマは、ある女性教師、それも成績が悪い人にクラスの係をおしつけようとしたり、私学受験の邪魔だから行事は全部やめましょうといったり、私学受験をしない人を「あなたたちはバカなんだから」といったり、クラスメートを密告者にして自分の味方にひきいれたりと、もうなんでもありで絶大な権力をふるう人なのですが、それと小学生たちがいかに闘い、変化していくかという話です。

で、実はこの女性教師はいい教師であり、すべて子どものためを思って自分が憎まれ役をかってでて、世の中の辛い現実に耐えていけるようにふるまっていたという種明かしがある。女性教師は自分がやっていることが刺激の強いものであることも知っていて、それで生徒らを24時間みまもっていたようです。で、授業がひどいということで教育委員会によって排除されるのだけど、生徒はもっとこの先生から学びたいと思い、感謝するというような結末です。

ドラマとしてはなかなか面白かったです。あちこちblogをみていると、このような教師がいてほしいと言ったり、絶賛している人もいました。けっこうたくさんの人が指摘していましたが、僕もプロ教師の会などの主張と、このドラマが呈示する教師像というのは似ていると思いました。子どもを自由にさせるのが教師ではなくて、絶対的な存在として壁にならなければならないというような主張です。

僕もすこし前の日記で「生きた壁」なんてことをいってますので、この主張にはいちおう賛成ですが、でも、だったら何をやってもいいのかというとそうではないでしょう。もちろん、上記のはドラマだから真剣に批判してもはじまらないですが、最終的にいい先生だったらどんなことをしてもいいということにはなりません。

それから、これは関連すると思うのですが、「壁」を強調する人は、子どもの自由な活動を尊重するタイプの教師とは(主義主張という面では)そりがあわないことが多いように思います。この両者は正反対のことをいっているように思いますが、結局は自分のやりたいことを子どもにインストールするというだけにとどまっているとするならば、同じなんではないかという気がします。どちらにしても「よい子ども」が想定されており、それにむかって介入していくわけです。

昨日紹介したエンゲストロームなら「自由vs管理」は、子どもたちが直面する第一の矛盾だが、しかし、どちらがいいということではなくて、そこから第3の「歴史的に新しい形態」をうみだすのが『拡張による学習』だと言うのではないかと思います。学習とは、教師から生徒への一方的な知識の注入ではなく、実は、教師と生徒との分業によってなりたつ相互の対話過程であり、そこでは生徒が学んでいると同時に、教師もまた学んでいるという、そういう主張です。

実際、僕がインタビュー調査した生徒指導の先生方も、それはそれはかっちりとした教育観をもって、ちょっとやそっとじゃびくともしないんですが、それでもこれまでに何回か揺らされる経験をし、そこで生徒も教師もないような経験をして、そこで専門性を更新されています。まあ、そういう経験は必須じゃないかもしれないし、さらにはそれを語らなければいけないわけではないかもしれないけれど、I藤先生がいってた「生きた」というあたりが、これを実践していくヒントになるかもしれないですね。


INDEXpastwill
hideaki

My追加