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Yrjo Engestrom (2005) "Developmental work research: Expanding Activity Theory in Practice" ICHS
エンゲストロムがこれまでにAST(Acticity System Theory)やDWRについて書いた論文集。最後には2004年の夏に日本で行われた講演の元ネタがおさめられている。この一冊でエンゲストロムがわかる、、、わけではないけれど、全18章で、豊富な事例とともに、DWRが説明されています。
1996年に書かれた"Development as breaking away and opening up"も収められています。発達とは「お上品な習熟というよりも、むしろ暫定的に古きものを否定すること」「個人の変化というよりも、集団的な変化」「より高いレベルへ垂直的に上昇するものというよりも、境界を越えて水平に広がっていくもの」だという主張は、いまでも興味深いですな。
で、この論文でとりあげられている小説かなんかがずっと気になっていたのですが、調べてみたら日本語訳がでているそうです。
Peter Hoegの"Borderliners"。日本語訳本の紹介をみてみると・・・・「少年院や孤児院の、どこにも適応できない境界線上(ボーダーライナーズ)の子供たち。送り込まれた学校ではある実験が行なわれていた。管理され、時間を奪われた彼らが暴くやつらの計画とは? 全米ベストセラー待望の邦訳。」とのこと。
この小説では最終的に主人公の3人によって施設がぶっつぶされるのですが、現実の世の中ではぶっこわれたら大変です。僕は気弱なので、非行少年になることもまた発達だというような、そこまでラディカルなことは書けません。
それに非行少年になることもまた価値があるんだというような言説は大変魅力的ですけども、そう主張したい大人が子どもになりかわって語っているというような感じもうけてしまいます。もうひとつ、ポールウィリスの『ハマータウンの野郎ども』という作品があるのですが、そこでは前半部分で野郎どものやりたい放題(社会体験学習にでかけたら、あたりかまわず落書きしまくるとか、教師をいじめまくるとか)な様子がおもしろおかしく描かれます。
彼らは先生の言うことをよく聴き、忠実に勉強する子どものことを「あいつらは耳の穴だけで出来ている」という意味で「耳穴っ子」と揶揄し、彼らからの対抗アイデンティティを形成していくのです。で、その結果として、その少年たちは学校をでた後、自らの意思で「失敗者」となり、耳穴っ子らは成功者となるということが(ちょっと乱暴にまとめると)書かれています。
この事例ではありませんが、不登校でも、非行でもそれが現代の教育制度や社会構造にとってとても重要な訴えかけをするものであることは認めるし、そこから心理学者が現代のあり方を反省していくような理論をうちださなければならないのはわかりますが、でも、そういうためだけに彼らの人生が利用されることになり、教育学者や心理学者はよろこぶけれども、当の少年たちがうかばれないというのは、これはこれで困るなと思う訳ですよ。
ところで件の本は、なんとなく天童荒太の『永遠の仔』を連想してしまったけど、一度、読んでみるかな。
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hideaki
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