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2005年07月11日(月) ナラティブ研

昨日は東京大学でナラティブ研究会。

普通、私たちがナラティブというと、素朴に普段の生活や、過去の記憶が反映されていると受けとりがちになるのだが、それを保障してくれる論理というのは実はないという話があった。

ナラティブは語られた瞬間に、即興で作られたものであり、聞き手や状況が違えば全く違うものになる可能性をもっているものとしてみたら、ナラティブの何が確かなのだろう。そこでは、その人が出来事をいかに語るかということが問題になる。

 精神分析とか、来談者中心療法とかはこのような仮説に基づいているといってよいのではないか、と思う。しばしば誤解されるが、心理療法は、<あの時、あそこで>おこった出来事を、<いまーここ>でカウンセラーに伝え、その内容にみあったアドバイスを処方されるというようなものではない。<あの時、あそこで>おこった出来事を語るという設定において、<いまーここ>でクライエントがセラピストともとうとする関係性が治療対象となる。だから、転移、逆転移とかが問題となる。

さて、そうだとすると、今度は、関係性をどのようにとらえるのかという問題がでてくる。治療関係ならばスーパーヴィジョンをうけるなりして、いまのこの関係性のとらえ方が「有効か」どうかが問題になる。正確かどうかはそれほど問題にならない。そして、別に治療という目的のためならばそれはそれでよい。

ところが、これが研究だという場合には、「有効か」どうかだけで判断していてよいものだろうか。僕らはそうだと思うのだが、それでも世間一般には研究というのは、なにか混沌とした世の中に白黒つけてくれるものとか、正確な診断をくだしてくれるものとして位置づけられている場合も多い。何を基準にその関係性をとらえ、その妥当性をいかに保障するのか、というのが結構難しい問題なのではないかなと思った。


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hideaki

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