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| 2005年06月15日(水) |
人生経験か、専門的知識か |
臨床心理士のblogをいくつか見ていたら、カウンセリングや心理療法は「人間性」でやるのではない。学問的知識と、その腕前でやるものだ。その人が実際どうであるのかということと、心理の腕とは関係がない、というようなことが盛んに主張されている。
もっともな話だと思う。その多くは、カウンセラーは人格者ではなくてはならないとか、人生経験が豊富な人しかカウンセラーになれないといった言説に対抗してのものだから。
カウンセラーの技能はそれだけではないが、人の話を聴くことひとつとっても、人生経験によって力量が高まるなら、そもそも私のような若手はそれだけでハンデを背負っている。子どももいない。死のうと思ったこともない。不登校や非行になったこともない。「そういう人に私の経験がわかるものか」と言われても困ってしまう。
それに考えてみれば、誰でも人生で経験できることはわずかしかない。大方は経験したことがなく、想像もつかないことだらけだ。そもそも、1人1人の経験はそれぞれにかけがえのないものだという立場をとれば、この世で共有できる経験などない。それでも、相手のためになろうとするのだから、そこには専門的な知識がいるのは当然のことだ。
てなようなことで、僕は初心の頃、かなり「経験や人間性じゃない」という言説にとらわれていたと思う。恥ずかしながら、かなり感情的に反発していた気もする。
しかし、上記の内容をふまえた上であえていうと、僕は数年前から、「人間性」とまでは思わないが、いわゆる人生経験とか、その人の人となりというのはとっても重要だと思えてしょうがない。
なにも人生経験や人となりがよければ、腕もよいとは思わない。が、人生経験がともなえば、それまでどう頑張ってもトンチンカンな答えしかみいだせなかったことにも、自然と理解がともなってくることがある。まったく専門的知識なんてなさそうなおじさんが、当たり前のように援助的なことをうまーくやってのけているのをみると「こりゃあ、かなわんなー」と感心する。人となりがよくて、ある程度までならうまくやれてしまう人もあるような気がする。
すくなくとも、「経験や人間性じゃない」という言説にとらわれてしまうのは、セラピストとしてはあまりよくないことではないかと思う。それは「人間性だ」という立場にとらわれるのと内容的には正反対だが、形式的には同じことだ。
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hideaki
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