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2005年06月13日(月) 狂気と犯罪

芹沢一也『狂気と犯罪:なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか』講談社+α新書

著者の根本的な問題意識は、「触法精神障害者」というカテゴリーが、どのようにして、現在のようにリアリティをもって世間に受け止められるようになったのか、ということだ。精神障害もまたひとつの疾病に違いない。風邪と犯罪を結びつけて考えることにリアリティがないように、本来、犯罪をなすことと精神障害であることの関連性はないといってもよいかもしれない。にもかかわらず、ということだ。

著者は刑法と精神障害(狂気)、そして精神医学との関連を、江戸時代までさかのぼって歴史的にあとづけている。日本が文明国家となること、そして精神障害者にも人権を十分に認めようとする社会になるに応じて、精神障害者は「犯罪の兆候をもつ人」として問題化されていく。精神医学が世間に認知されるように努力することが、ますますその傾向を強める結果となってしまったという分析はなかなか興味深い。

心理セラピストが、心の悩みをかかえる人を援助しょうとして、世間に診断名や障害についての知識を流布したために、かえって社会問題が当事者の心に還元されるという事態をまねいたこととも通じるねえ。

でも、僕は社会問題が精神医学化されることにしろ、心理学化されることにしろ、それ自体が悪いとは思わない。そうするよりも他に手がない状態で、よりましな未来を予見できることならば、やった方がいいんじゃないかと思う。ただ、問題はそういう選択をするときには、常に時代的な制約がはたらいていて、「いま、ここのこの状況ならば」という話になっているはずなのだけど、不思議とそういうのは忘れさられていくのであるね。

で、時代的な文脈は忘却され、なんだか当然の前提にしてしまうと、後世ではいろいろと実態にあわないことがでてくるのは当然で、だからいろいろとよくないことがおこるんじゃないか、と。心理学化にしても、精神医学化にしても、そもそもなんである時点で、そういうことをやろうということになったのかを歴史的に位置づけて考えることが必要じゃないかと思いますよ。この本でやってみるみたいに。


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