I create you to control me
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愛車マーチ君を不慮の事故でへこまされたので、今日からマーチ君は1週間入院。かわりに工場から代車を用意してもらう。同じく日産のキューブ。
おお、なんてかっこいいんだ。まだ1万キロくらいしか走っていないだけにすごいピカピカである。加速もいいし、エンジン音も小さいし。もう、すごい快適。1週間たってすっかりキューブ君のとりこになっていたらどうしょう。
さて、某MLでは、長崎県でおこなわれた「死んだ人は生き返ると思うか?に15%」の記事が話題になっている。
ニュースの報道では、15%もいるということに注目があたっているわけだが、長崎県のサイトにいけば実際におこなわれた調査の全容がわかるようになっていると教えてもらった。
これをみると、実は、死んだ人は生き返ると答えているのは中学生がもっとも多い。小学3年生が14%、6年生は13%、そして中2は18%である。1000人規模でやっているので、単純に比較すると中学にはいって40人くらいが、新たに「死んでも生き返る」と思うようになったことになる。これはどういうことか。
僕は、調査者側が意図したような、「死んだ人は生き返らないのだ=命は一回限りの貴重なものだ」という道徳的知識の有無ではなく、別の文脈でこの質問に答えている人がけっこういるということではないかと思う。
つまり、「小さい頃からの動物を殺して遊んだりといった経験がなく、いのちについて身近に考える経験がない」とか「ゲームによってバーチャルな世界と現実世界の区別がつかなくなり、人は死んでもリセットできると思っている」というように、世間でまことしやかに語られる、現代の子どもの生活経験や知識の不足が反映された結果にはよみにくい。単純な知識の不足だったら、中2が小6より多いというのは考えにくいと思うからだ。
で、別の文脈というのは「小6の誰かが殺人事件をおこしたからって、大人もこんな調査をしやがって。まったく俺(私)たちに信用がない!!」とゲンナリしていい加減に解答したか(小6が少ないのは、その意味では教員のピリピリ度を反映しているのかも)、「死んだ人は生き返るということはありえるか?」というような現在の科学技術や、「魂」といった現代の科学がいまだ解き明かせていない(あるいは構造的に忘却している)ものへの態度を表明しているというようにも読める。
死んでしまったあの人はもう戻ってこないけど、でも、もし生き返ったらどんなにいいかしらとか、死んでも生き返るというような科学では説明のつかないようなことが、しかし現実にはおこりえるのだという、人間の生命に対する畏怖を感じる方が、僕はよっぽどいのちについて考えていると思うがどうなんだろうか。
と、ここまでは無責任に書きつつ、この手の調査(への批判)について私はアンビバレントである。僕も小中高生を対象にして、規範意識について滋賀県がおこなった調査のお手伝いをしている。そこでの結果は、まあ妥当なものだったと自分では思っているが、まかり間違えば今回のように批判の矢面に立たされるということもありえるからだ。
僕らからすれば15%も「人は死んでも生き返る」と思っているというよりも、85%もの人が生き返らないと思っていることの方をとりあげるほうが妥当だと思うのだが、おそらく調査主体は、学校の先生を中心にして組織されたメンバーであり、そういう1人の実践者の立場にたったとすれば「1人でも危険信号をだしている生徒がいては困る」わけで、上記の数字は限り無く0に近くならなければ気がすまないだろう。このような徴候的不安は際限がない。
また、調査結果をだすためにかなりの努力を調査者の人はしたであろうし、地元の学校の先生にも多大なる迷惑をかけて調査を実施してもらったはずである。そのような結果として、85%は「死んだ人は生き返る」とは思っていませんというものをかえすよりも、現場の先生にとっての脅威である「突然に考えられないような事件をおこしてしまう一部の子ども」をなんとかするための知識を提供したいと思い、過剰な解釈をしてしまったとしてもなんとなく理解できる。
理解できるが、そのような不安を軽減するような結果は、質問紙で、それも「はい/いいえ」のような調査で明らかにできるものではないんじゃないかしら。どうせ心配するなら、長崎県もやってますというポーズをつけただけのような質問紙調査やらないで、もっと実効性のある学校支援をやればいいのだ。
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