I create you to control me
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| 2004年12月13日(月) |
人の話を聴くこと、が相手に伝わること |
昨日の疲れがのこっているのか眠い。午前中はコーヒー館でコーヒーのみつつ本でも読もうと思ったのだが、なんとなくひざをついてぼーっとしてしまった。午後から学生相談。
カウンセラーなのにこんなことをいうのはあれだが、人の話を聴くというのは難しい。うちの指導教官は「聞く」ではなく、「聴く」というのがこだわり。5感を総動員してきくのだという。
聴くのが難しいのは、相手の話が共感できないときだけではない。もちろん共感できないときは本当に聴くのがおっくうになってしまうけれども、同じくらい大事なのは、相手にも聴いてもらっていると思ってもらえること。
こちらばかりわかっても相手が情報をひきだされているとばかり思っているならば、そういうセッションは長続きしない。むしろ、こちらは適当に聴いてても、聴かれている側が話してにこにこ帰ってくれるならそれはそれで素晴らしいことだなと思う。
ある後輩カウンセラーは(僕なんかおよびもつかないような、たいした腕の持ち主なのだが)、「ああ、この人のことが理解できた」と思ったら、もれなくそのクライエントは中断にいたるという時期があった。
たぶん、それは理解してしまったということが相手にも伝わったのだと僕は思っているし、彼女もそう思うといっていた。理解するのはセラピストではなく、クライエントの方だ。でなければクライエントは自分の人生に対していつまでもセラピストの後を歩かねばならなくなる。あるいはセラピストにとっての病理の理解は、自分が安心するためのもので、クライエントのためのものではない。クライエントは安心できないのに、セラピストが勝手に安心してしまったら、クライエントはいたたまれなくなるだろう。
上記のような例から思い出したのは、来談者中心療法のロジャースだ。彼は晩年になって専門家はいらない、診断も心理テストも役にたたないというような不可思議な発言をくり返している。それはたぶん字義通りとってはいけなくて、上記のような理由なのだと思う。
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