I create you to control me
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朝から超満員の新幹線で福岡へ。 九州大学で、第12回の青年心理学会。
午後から『現代青年の規範意識と非行行動』という題名のシンポで指定討論。九州大学で社会学をやっておられる友枝先生と、長年、少年鑑別所で仕事をしておられた出口先生が話題提供をし、名古屋大学の河野さん、奈良女子大学の水間先生と僕とで指定討論することになっている。
何度も書いているが、話題提供はあらかじめ用意していった資料を発表すればよい。だが、指定討論は事前に展開がよめない。指定討論も2人目なので、直前の河野さんが僕のいいたいこといっちゃったらどうしょうなどと考えること多し。
友枝先生は、質問紙調査によって高校生と、高校教師の規範意識についての調査をおこなっておられる。そのなかでは、現代の高校生は「他人に迷惑をかけなければよい」「自己を尊重する」というような規範を生きている点で、大人世代とは異なっていると主張されていたところが印象にのこった。
このような状態を社会学では「私事化」という。絶対的な真理がないポストモダンな状況のなかで、青年も大人もどのように進んでいったらよいのか見えなくなってきたということであるらしい。
絶対的な真理はないなかで大人は青年、少年とどのように向き合うべきか。最近、僕がやっている生徒指導担当の教師へのインタビューでは、先生方は「僕らが強いている規範に絶対的に正しいものなんてない」といい「だからどこかに正解をもとめて、それによって自らの行為を正当化するのではなく、一人の人間として僕はそれはおかしいと思うよという基準を示していくことが大事」だという。これは、絶対的な真実が想定できないなかで、対話によって関係をとっていこうということだが、これがひとつの解決になるのかな。友枝先生が道徳的であるというのは、人間に欠かすことのできないところだと思うとおっしゃっていたのもこれと関連するのか。
出口先生は、とかく規範意識が低い、共感性がひくいと言われる非行少年であるが、実はそんなことはないことを強調しておられた。むしろ施設のなかでは優等生であることもあるのだという。実際、私がフィールドワークをやっているなかでも、指導者とのズレがまったくみえてこないものの、いっこうに更生にむかわない少年がいることが印象に残っている。
臨床的な感覚として、非行少年(と、一般的にいわれる子)と接するなかでは、彼らにどれだけ「甘え」があるかというのが更生への指標になる気がする。甘えがある子は人に頼るということのよさをしっている。甘えもなく、優等生的な発言を繰り返し、われわれにつけいるすきを与えない少年は、そもそも教育やセラピーにおいて「学ぶ主体」にはならない。彼らはそもそも「人っていうのは頼るといいことがあるらしい」ということがまったく信じられない人のように感じられるのだ。彼らは学習活動に参加しているようでいて、まったくそうではない。そして、そのような彼らはむしろ規範をしらないのではなく、規範との距離がとれていないように感じる。
規範との距離をとるために何が必要なのだろうか。我々は規範を知り、それに従うということのあいだに距離がある。規範について知っているということと、そのとおりに行動するということとのあいだにある距離のなかに「自己」というのはあるんじゃないか、などと考えた。
僕のような立場は、あんまり理解されてないかと思ったが、後でおもしろいといってもらえる人も何人かいたのはよかった。社交辞令とはいえ、そういってもらえるとうれしい。なかには構築主義に最近とても影響をうけているという先生もおられて、「もっとそういう立場をシンポでいえばよかったのに」と言ってもらえたのも勇気づけられた。
僕のアプローチはエスノメソドロジーであって友枝先生らの規範的アプローチとは対極にある。後の反省会(みんなでお茶飲んでただけだが)「今日は若手の人とリベラルな話しあいができてよかった」「君なんか、ゼミでやってたら大げんかになるとこだよ」と言われてしまった。いやー、シンポでよかった(^_^;)。社会学者の方は、心理学者に比べて議論の運び方が精緻な印象をうけていた。あればエスノメソドロジストゆえかとも思っていたが、全般的にそうなのかもしれない。うっかり変なことをいっていないか心配である。
大会後は、懇親会。さらにその後、普段はあんまり一緒にならないO先輩や、シンポでご一緒したM先生らと一緒に飲み会。普段は一緒にならなくても優しく対応してくださってよかった。楽しい一日だった。
しかし、疲れた。今日はもう寝よ。
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