祝!A.シフ、久々の来日 - 2007年04月05日(木) 先日、●●音楽事務所から(←別に隠すことないんだけど) 家に送ってきたDMに嬉しいニュースが。 2008年3月、ピアニストのアンドラーシュ・シフ来日。 いや、メチャクチャ嬉しい。 大ピアニスト、9年ぶりの来日である。 時々日記に書いているように、 私が現存のピアニスト中、最も好きで尊敬しているのが ポリーニとシフ。 ポリーニは2年に1度くらいの間隔で来日しているが、 シフは9年ぶりだ。 なんといっても1997年、東京オペラシティのオープニング・シリーズで 彼がやったシューベルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会+ペーター・シュライヤーとの3大歌曲集での体験が忘れられない。 (私は計9回のうち、4回行った。) 「シューベルトはどんな音楽を書いた男だったか」 ということを絶対的な世界をもって私に教えてくれたシリーズだった。 そこにあたかも演奏家が介在しないような、 シューベルトの音楽そのものだけがホールに存在し、 それが私たちに向かって語りかけてくる、といった体験だった。 (この言い方は海外でもシフの論評によく出てくる) モーツァルトとはまた違ったかたちで、 喜びも楽しいことも、すべてはかなく哀しみの色を帯びてしまう、 まさにシューベルト自身が言った 「僕は楽しい音楽など一度も聴いたことがない」 という言葉がそのままあてはまるような音楽。 彼の好きなベーゼンドルファー・ピアノの甘く歌うようなトーンが シフの演奏をますますそうしたものにしていた。 その2年後にやはり東京オペラシティで聴いた、 前半スカルラッティのソナタを13曲、 後半ハイドンとシューマンのソナタというリサイタルも忘れられない。 まるで宝石箱から様々な色や形をした光り輝くダイヤやらルビーやらサファイアを取り出して見せてくれるようなスカルラッティと、 いつもの機知に、より率直さが勝ったハイドン、 激烈だけど響きの均衡を決して失わない、情念が怪しく底光るような瞬間が明滅するシューマン。 全く違った3者の対比と、一貫した流れの両立。 シフの類稀な変幻自在なタッチが、そういう演奏を可能にする。 鍵盤芸術の粋をここに見た気がする。 そしてシフを他のピアニストと区別する「静けさ」のオーラ。 鳴っている音よりも、あたりに漂う静けさの方が雄弁に語る音楽。 何で9年も来なかったんだろう? もっとも毎年リリースされるCDでは、ベートーヴェンのソナタの目の覚めるような素晴らしい演奏を堪能していたけど。 でもやっぱり実演に接したかったから ともあれ、めでたい。 ...
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