松本へ - 2004年08月30日(月) 先日またまた行ってきました。 もちろん(?)今年もサイトウ・キネン・フェスティバルを聴くためです。 (とはいえ去年も一昨年も行けなかったので、3年ぶりか…) 今回聴けたのはオペラ公演の方。 アルバン・ベルクの「ヴォツェック」。 サイトウ・キネンのオペラ公演には、ほぼ20世紀に作られたオペラが上演されるので 普通だったら満員御礼なんて考えにくいのだけど ここでは小澤さん人気、もう定着したフェスティバルの人気からか 今回も満員。 …で、どうだったかって? いや、素晴らしかった…んだけど… ん? こういう書き方はイヤですね。 すんごいものを聴いた。素晴らしいものを聴けた。 という実感が、一日たった今、聴いている最中より強まってる、という変な感じなのだが いや、上演自体はこの上なく立派だった。 うーん、少なくとも立派な音。 小澤さんの指揮するサイトウ・キネン・オーケストラがこの上なく緻密で、劇的で美しくて、その上恐ろしいほどの緊張感に満ちていて、 複雑を極め、倒錯した?音の群れが面白いくらいにきれいにさばかれていって、まさに「水をえた」魚状態。 こういう音楽になると小澤さんの指揮は冴えに冴える。 歌手も、特にヴォツェックを歌ったマティアス・ゲルネは艶やかな声といい、表現力といい抜群だし、マリーを歌ったソルヴェイグ・クリンゲンボルン(いかにも北欧の名だ!)も強く美しい声が実に良かった。 それから鬼才(といわれる)ペーター・ムスバッハの演出。 具象的なものの全くない真っ白に統一された舞台の中、 人も全員真っ白でオバQみたいな格好、 精神世界での心象風景、といった様子で全編一貫させた舞台。 この演出と演奏がとても一体感があって そういう意味じゃ、全てが一貫した上演だったのだけど 要するに私は、ナマナマしさの欠如にとまどったわけです。 「ヴォツェック」をよく知っている人だったらわかってもらえると思うのだけど あのオペラには「殺し」をはじめ、ナマナマしい感情があふれていて 具体的にそういったセリフだらけ。 ベルクの音楽も、同じ無調音楽を書いた師のシェーンベルクや盟友ウェーベルンと比べてもはるかにロマン的 … という以上にむせかえるような退廃的でナマナマしいはずなのにそれがあまりない舞台だったのだ。 いつもだったら、そういう在りようもあっていい、 新しい視点が与えられた舞台だ、 と考えることもする私だが この台本のセリフや、ベルクの他の音楽を考えても やっぱり何か食い足りなかった。 でも、矛盾するようだけど、上演そのものは最高に素晴らしいレベルだったのだ。 国際フェスティバルにふさわしい舞台。 それに「ヴォツェック」こそ(あとドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」) が20世紀に書かれた最高のオペラ、 と多くの人が言うが、 まったくその通りだと、改めて強く感じさせられた。 しかし人が音楽を聴く、というのは簡単なようで難しい。 いや、本当は簡単なのだけどね。 私が多くを受け取りすぎて、(そうかな?) 色々考察しすぎるのだ、きっと。 他に聴いた方々はどう感じただろう? 私がサイトウ・キネン・フェスで一番感動した舞台、 作品の方向も演奏の水準も完全に一致して、圧倒的に素晴らしかったのは プーランクの「ティレジアスの乳房」と「カルメル修道女の会話」の2つだと思っている。 あれはやっぱり小澤さん(とサイトウ・キネン・オーケストラ)向きだったから、ということだろうか? あのプーランクの時は、 音そのもの「だけ」を磨けば磨くほど 作品そのものが光り輝く、といった感じだった。 ...
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