音楽馬鹿への道 その2 - 2004年08月31日(火) はしめてのピアノ発表会の後、 幼稚園を卒園するくらいまでは素直に ばーちゃんのレッスンを受けていたらしいが (それも楽しそうだったらしい。) 小学校に入るとだんだんその様相が変わってきた。 そのへんになると大分覚えているが やっぱり私も遊びたい盛り。 ただそうだなー、 私は今もそうなのだけど、友達をわんさか作って遊んで遊んで といった性格ではなかった。 夏になればカブトムシやクワガタをじーっと観察して、 エサを奪い合って戦っているのを楽しんでたり(暗) 冬はヒヤシンスやチューリップの球根の水栽培をながめ 芽が日に日に伸びてくるさまを喜びながら見てる子だった。 あ、これはうんと小さい頃らしいのだけど ひいじいちゃんと一緒に駅のベンチに座って じーっと電車を見るのが好きで 「がたんがたーーん がたんがたーーん」って歌ってたらしい。 …いや暗いな。かわいい感じはするけど。 とはいえ、ずっと家にこもっているのは好きじゃなくて 何人かの仲の良い友達の家にいったり 特にドッジボールや野球(ゴムのカラーボールに空バット)をするのが好きだった。 下手だったけど。 だもんだから「ピアノ」より「遊び」だった。 普通そうだろう。 女の子はともかく、男でそうじゃないヤツなんていないんじゃないか? で、ばーちゃんとよくケンカになった。 ばーちゃん曰く「この家の子はピアノを弾かなきゃいけないんだ!!」 ということだったが、 子供の私にとっては なんじゃ、そりゃ? である。 もっとも、今言われたら更にナットクできないな。 ウチのばーちゃんはすんごい細い人で 当時(あ、でもまだ60にもなってないか!?)から トリガラのようだった。 なのに気性だけは激しく、 「この何時から何時はアンタの時間なのに、わからないのか!!」 と私をそのトリガラ腕で無理やりレッスン部屋にひきずっていった。 腕は抜けそう、足はつっぱりぱなし、お尻はヒリヒリ 全身痛かった…。 毎日レッスンしてたか、週3回くらいだったか忘れたが なにしろ学校から帰ると 脱走できるか、捕まるか。 スリリングな毎日だった。 こんな具合で私はどんどんピアノが嫌いになっていった。 よくある状況っす。 ...
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