音楽馬鹿への道 その1 - 2004年08月25日(水) 先日、とある人から 「みゅう太さんは小さい時から音楽馬鹿だったんですか?」 と質問された。 とても素朴な質問だったが 急に聞かれると答えに窮した。 う〜〜〜〜ん、そう考えると 私は決して小さい時からこんなでは(どんなじゃ?)なかった。 かと言ってやっぱ音楽は好きだった…(?) 転換点は高校2年の時だったのは確かなのだが う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん(><) でもいい機会かも。 私も「私がいかに音楽馬鹿になったか。」というのを整理して思い返してみたいし、 そんなことを今日から少しずつ書いてみようと思います。 でも毎日書くのは大変だし、苦痛だし、 第一イッペンには思い出せない。 少しずつ、不定期で。 そもそも私のウチというのは 祖母も母もピアノの教師、という音楽的には甚だ恵まれた家庭で 小さい頃はおろか、母の胎内にいる時からピアノの音を聴いていた(筈)。 ピアノを習い始めたのは5歳から。 祖母のてほどきだった。 その頃のことはあまり覚えていないが 後で聞いた話によれば かなり嬉々としてピアノをさわっていたそうだ。 名前はかなりの人が知っていると思うが 日本では(この「日本では」がかなり曲者である)未だに初心者の大半がこれから始めるドイツの「バイエル教則本」と、 あと思い出せないのだが、日本人の作った教則本を併用しながらレッスンがスタート。 弾くことにしても、楽譜を読むことにしても 飲み込みは早かったようだ。 そして早くも11月には発表会に出る。 曲は「五月に」という ハ長調 … つまり白鍵だけで黒鍵がない、とても簡単な曲だ。 ソ・ミ・ド・レ〜、 ソ・ミ・ド・レ〜、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ファ … みたいな感じの。(わかるでしょうか?) 先日「私はアガリ性で…」のようなことを書いたが、 私のうっすらとした記憶では この時は舞台で弾く、ということがかなり嬉しくって 緊張どころか、気持ちよかった、ように思う。 ところでこれは子供ながら「暗譜」で弾いている。 楽譜は見ずに全部記憶して弾いている。 途中まで気持ちよく、調子よく弾いていたのに 最後の方でつっかかった。 思い出せなくなった。 で、私は何をしたか。 こともあろうに 「間違えちゃった〜!!」 と客席に向かって叫んだのだ。しかも照れながら。 もう一度弾きなおした。 ところがまた同じところでつっかかる。 叫ぶ。 「また間違えちゃった〜!!!」 会場騒然である。 舞台袖にいたお姉さんがたまらず楽譜を舞台に持ってきてくれ 無事、弾き終えた。 これは恥ずかしいことにレコードになって残っている。 モチロン私の叫び声とともに。 ウチの親たちは当時としてはすごい先進的だったなー、と思うのだが まだカセットテープなどなく、オープンリール・テープしかない時代に 生徒たちの演奏を45回転のドーナツ・レコードに録音していたのだ。 考えてみると、私の緊張しいは こんなあたりがトラウマになってるのかも。 こんな具合に私の音楽馬鹿への道のりが始まった。 先に書いたように不定期にこれを書いていこうと思っています。 お付き合いくださると嬉しいです。 そんなにドラマティックなことはおこらないと思うけど… ...
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