ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

はじめてのヨーロッパ その17 〜ウィーン1 - 2003年05月20日(火)

ひとつ誤算があった。

オーストリア鉄道の乗り心地がどうもあんまりしっくりこず、(しかもえらいタバコの臭いが充満していて耐えがたかった。)早く着かんかな〜と思っていたら、
終点がウィーンの中央駅ではないことが判明した。(\_\;

ウィーン西駅が終点だとアナウンスで言っているのだ。
(こういうヨーロッパのメイン鉄道はドイツ語だけでなく英語も喋ってくれるので助かる。
ちなみに日本も最近英語アナウンスが増えてきた。いいことだ。)
まあいい。
でたとこ勝負だ。
自分でもここへきて相当気持ちが大きくなって大胆になってきてることを感じる。(この程度でか?)

さて西駅はそう、渋谷駅くらいな規模だったような気がする。(ホントかな?)
驚いたのは、降りて歩き出したら何人かオバサンが寄ってきて「今日の泊まりは決まってるの?ぜひウチのペンションで!」とかカタコトの英語で聞くのだ。
「決まってまっせ。」と真っ赤なウソを言いながら引き離し、“i”のマークを探しているとまたそこで待ち伏せしている。
すごい人たちだ。
いや、ウィーンというのは私なんぞには伝統ある「音楽の都」ってイメージだが、なるほど「観光都市」なのだな、と妙に納得した。

そんな雰囲気だったのでそこでホテルをとるのはやめ、とりあえず都市の中心部へと行くことにした。
地下鉄の駅のマップを見るとすぐ行けそうだ。

向こうの場合、地下鉄といっても地下を走ったり、地上にでたりで普通の通勤電車を考えてもらえばいいかな?
こちらはドイツ語のアナウンスだけなので(しかも「次はどこどこ。」と簡潔でなくて、ずっと文章を長々と喋っている。)「降りれるか??」と心配もしたが、まあ大丈夫だった。
私は知識として、シュターツオーパー(ウィーン国立歌劇場のこと)がウィーンのド真ん中にあることは知っていたので、それを待ち構えていたのである。
降りると案の上、ホテル・インフォメーションはあった。

ほんとに大分気持ちが大きくなっていて、まあ最後の場所ということもあり(そんなにお金も使わなかったしね。)「予算は1万円くらい。越してもいいよ。できるだけここから近くて便利なとこ。それでお風呂とシャワーはちゃんとついてる部屋でね。」と頼んだところ、
あっさりあった。
ホテル・アン・シューベルトリングというところ。
(後日談で、そこはあの世紀の女流ピアニスト、マルタ・アルゲリッチが一時定宿としていたホテルだった!)

こぢんまりとしてはいたが、リング通り(ウィーンの中心をなす環状通り。ここの中に有名なところはほとんどある。)に面していて賑やかだし、中はとても清潔で家庭的な感じ。
とてもよかった。

ところで友人Uと待ち合わせたのはいよいよ明日。
シュターツオーパーの前で12時に(もし会えなかったら3時と5時にも念のため約束をしていた。我々は意外に周到である。)。
なんだかワクワクした。
いや、生きてるぞー(あたりまえだ。)楽しかったぞー。英語ロクにしゃべれないのに2週間ヨーロッパをわたったぞー。
と早く話したかった。

ただ今日は何をするか?
まずコンサートに行きたかった。
でもシュターツオーパーに行くと、ま、これは当然なのだが夏休み。
しかも日本語でも(!)「8月はこの歌劇場はお休みです。」と書いてある。
そしてウィーン・フィルの本拠地であるムジークフェラインザールにも行ったが、なにも予定はなかった。
でも入れはしなかったものの、この昔から今に至るまで憧れていたこのような場所を訪れただけでも感激っす。 
どうか想像してみて下さい。
音楽バカにとってウィーン国立歌劇場やウィーン楽友協会なんてところがどんな夢の場所か!

で、次にコンツェルトハウスというホールに行ってみたところ、今晩ロンドン交響楽団の公演があるという。
それはいい!
ウィーンでロンドン交響楽団か、という気もしたが、このオケは超名門だし。
そこのプレイガイドらしき受付に行くとドイツ語しか離せないオジサンがいて
「ホイテ カルテン?」などと聞いてみると、「ナイン ヒーア。」
「ヴォ イスト?」と聞き返すと(すごい会話だ。)
今度はさすがに言ってることがわからず、オジサンは地図を見せてくれ、
どうやら「ここに行けば買える。」と言ってるらしい。
だとしたらナゼここで買えないのか?ほんとにそうなのか?とも思ったが
「ダンケ!!」と笑顔でいい、市役所?まで歩いていった。

歩いていると、う〜ん、ウィーンは想像通りのウィーン。
この日はとても暑かった。30度くらいあったかと思う。
でもなにしろヨーロッパはどこへ行っても空気が乾いているので、汗もかかないし、肌はサラサラだ。
街はの〜んびり、という感じもするし、下町情緒という感じもするし、伝統ある都って感じもするし、色々混じり合ってる感じ。
人もゲルマン人というよりハンガリーやスラブ系の顔が多く、これもこのあたりの人種が色々混ざってる感じ。
大きなホテルの1Fがザッハトルテとかアップル・シュプルーデルとかが売ってるケーキショップになってるところがいくつかあったりして、それがまた目をひいた。

少し時間がかかったが、なるほどプレイガイドがあった。
簡単に買えた。
しかも、2F席のハジの方だったということもあるが、1000円だ。安っ。
曲も前半は忘れたが、当時の首席指揮者マイケル・ティルソン・トーマスの得意なマーラーの第1交響曲。
ウィーンで聞くにはピッタリではないか。

ここのホール、いわゆるヨーロッパ的雰囲気はなく、赤が基調で中がバカでかい感じがする。(とはいっても2000席くらいだと思う。大ホールとしては標準的。)
集まるお客も、夏のオフ・シーズンだからだろうか? ヤンキーっぽい若者やいかにも観光客ばかりだ。

演奏は最高だった。
後にも先にもあんな素晴らしいマーラーの「第1交響曲」は初めてだった。
これは空気のせいもあった、と思う。
空気というのは聴衆のオープンな雰囲気、というのもあるが、物理的に空気が乾いているので音の鳴りがいいのだ。
およそ音のよさそうなホールには見えないのだが、音が素直に聞こえるし、プレイヤーも力を入れなくても楽に響いているように見える。
これはミュンヘンのオペラハウスでも体感できたことだが、日本でのコンサートとの大きく違う点。

ヤンキーたちが足を前の空き席に投げ出しヤンヤヤンヤと拍手を送ってる様子も、なんだか場の空気に似合ってる気がしたのも不思議だった。


《つづく》



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