あおい世界
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先日、母が歯科受診のため、総合病院へ行ったとき、 改めて父の担当医に挨拶をしたいと思っていたら、 偶然、会うことができたそうです。 こちらがお礼を言う前に担当医は開口一番、謝罪の言葉を発したそうです。 それは、退院が延びてしまったこと。 一度は週明けの月曜か火曜に退院と口にしてくださったのに、 その後、母への体力を考慮した結果、介護認定の諸手続きに時間がかかり、 週末の金曜に退院になったという経緯を医師は気にしてくれていたのでしょう。 確かに父はすごく退院を楽しみにしていて、 水曜以降、ガタガタッと憔悴してしまったのですから。 それは、退院してもそうなったかもしれませんが、 少しでもきちんと意識のあるうちに退院させたかったという医師の優しさを感じ、 母と共に有り難く思うのと同時に、感心させられました。
通りすがりのよく分からない医師ではなく、 父がずっと慕ってきた医師なだけに、担当医との絆を感じます。 心のどこかで、あたしたちはたかが一患者でしかないという思いがあるので、 医師の言葉は本当に温かく感じました。
今日で十四日目。 まだ、父を失ったことを実感できないでいますし、 亡くなって十四日も経つってことは、ますます理解できません。
しかし今朝、母へお惣菜を届けた際、 一人でお線香を上げて、じっくり遺影を見ていたら、 ずきーーんと胸が締め付けられました。 父がいないことを少しずつ理解していかないといけないんですね。
早朝から母がいなかった理由は、 終わり始めた皐月の鉢を、 引き受けてくださると言っていただいた方に届け歩いていたからです。 それはどれも大きくて重い鉢ばかり。 日中も、何件かに届けるとのことです。 真夏日になるという予報だし、 重いものは腰などへの負担も大きいはずなのに、 母は父が遺した植木を管理し兼ねることが分かっているので、 気軽に形見分けで頂いてもらえるなら、それはとても有難いこと。 折角のその好意に対してタイミングを逃さないよう動き回っているのでしょう。 父を知る人たちの庭先で、皐月がまた来年花を咲かせるなんて喜ばしいことです。
検索WORD = 父の病−
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