sasakiの日記
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2008年03月04日(火) 3月

 3月のカレンダーに「夢を持ち続けていると花が咲く」と書いてある。
 なんか、花咲く曲がり角みたいな標語だ。悪くはないんだけどどうも毎日言われ続けると鬱陶しいので、一つ先に飛ばしてみよう
 ちなみに4月のには「陽だまりに猫が眠って春が来る」
 こっちのほうがいいので家のカレンダーはもう4月だ。

 札幌今日は午前中とてもいい天気なのだ。
 大正時代の身の上相談を読んでから昼前に山登り。
 今日も途中で降りる。
 汗が背中にたまってタオルを淹れるだけでは駄目みたい、それに、今風邪をひいて面倒なことになったらことなので適当にする。
 雪があって上り下りは楽とこの間書いたんだけど、見るものが乏しくて、非常に禁欲的な山登りになり、思いのほか発散しない。
 今度誰か付き合ってくれる人を探して登ることにしよう。
 今回の鋲は最新式なので土踏まずに雪がたまって足裏健康法にならないのでありがたい。
 天気も良かったせいか、平日なのにもかかわらず人が多かった。
 
 4月に3人でやるコンサートの曲の事を考えていて、もう曲数は足りているんだけど、せっかく3人でやるんだからトリオの曲をどうしても作りたいと思っている。
 目処は、もちろん、トリオ・ロス・パンチョス。
 今時の、あの、ラテンフレーバーなのだ。
 子供のころ見たトリオ・ロス・パンチョスはカッコわるいグループの代名詞だった。なんといってもみんなおっさんでへんなラテン、それに曲が妙にえぐく、笑えるんだったんだけど、いつのまにかこっそり趣味の中に入ってしまっていた。大人になってから聞いてみると別次元いる。
 カッコよくはないんだけど、激しくそそられる。
 「ああーー、トリオ・ロス・パンチョスみたいなグループやりたい!」と思う!激しく思う。「ベサメ・むーちょ」いい曲なのだ、これが。
 どうしても、書いて見たい。もいわ登山しながら更に意を強くした。
 でも、とっても危険な水域にいるジャンルで、一歩踏み間違えると無茶苦茶な流行歌謡に落ち行く。嫌いじゃないんだけど、わしらの年でこれここに足を踏み込んでしまうと微妙に演歌系にすら染まる危険もある。
 この間5平氏にサンピアザ劇場であった時「なあ、トリオ・ロス・パンチョスみたいのやんない?」って聞いたら「やんない。」と言われた。
 地雷のありかは知っているみたいだ。
 それでもまだ、時間がたっぷりあるので是非作って見たいものだ。
 危険な賭けに出る、わしゃ。

 松は最早噛むことになんら容赦ない。
 この意味が最早はっきりとわかった。
 最早意味の取り違えようがないくらい、はっきりしている。もはや。
 噛む場所が手の場合は「とりあえずじゃれているだけなんだけど、そっちが更にこれ以上かまう気があるならば、充分付き合う準備はこっちにあるよ。」ということで、猫なで声で肩にのぼりほっぺたや首の柔らかいところをぺろぺろ舐め、油断したすきに鼻や顎を思い切り齧る行為に出ると「遊びなさい!こっちはもう頭にきているので速やかにその小さなネズミを放り投げるか若しくはキーホルダーのついた紐をゆらすか、若しくはリールの先にネズミがついたものを遠くに抛りなさい!」
 こっちが猫の一つの言葉を憶えるまでは結構時間がかかるものなので、ボンヤリしているとなかなか意思の疎通に時間がかかることになりそうだ。
 それでも遊びを共用する時以外は噛まなくなったので大分進歩したか?
 動物病院で勧められたドライフード以外食べさせてはいない。
 どうしてなのか、カツオ節、魚、人間の食べるもの、一切興味がないみたいだ。そんなわけで食卓が充分穏やかできちんと飯が食える、こっちは。
 スポ太郎のときはもう悲惨だった。
 テーブルに載ってきて人の皿や鉢に首突っ込もうとするわ、ひっくり返すはで、乱暴狼藉の限りだったんだけど。時々懐かしくなったりする。
 一生あんなカリカリでいいのだろうか?
 俺だったら暴れるんだけど。あいつは今のところなんの文句もないみたいだからソットしておこう。

 今日はこれから「ベサメ・マッチョ」の詩を書くことにする。
 まさか、本気じゃないだろうね?と言う声が聞こえるが、空耳だろう?
 

 


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