sasakiの日記
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2002年03月01日(金) やれやれ、3月だ。

 さっきから、8月分の日記を印刷し、そのあとに消去しようとしているが、どうしたことかプリンターがうんともすんともいわない。なんかこそこそ裏でやってるみたいなのだが、どういう訳か途中で諦めてしまい、諸般の都合により今は印刷できない旨の通達を画面に出したままあとは知らん顔ですまそうとする。
 
 許せない。

 と打ち震えては見ても、こっちは全くの門外漢。いかんともしがたい。
 
 このパソコンもそろそろ限界かもしれない。
 
 時々、何かの操作ミスをすると奇声を発する。
 ピーーー、キュルキュル、ギャッ、ギャアギャー、ブチブチ。
 今にも爆発するんじゃないだろうかというものすごい音だ。
 思わずこっちもひるんで机からすみやかに離れ、様子をうかがう始末だ。
 機械というものはそんな簡単に壊れるものなんだろうか?
 そういえばCDプレーヤーも少し前からおかしい。
 針飛びみたいにとぶ。そして一旦それが始まると今度はものすごい勢いでランをする。溝の減ったレコードみたいにあっという間にエンディングに到着する。
 そういえば湯沸かしポットも買って間もないのにお湯の出が悪い。

 おい!スポ太郎!顔が焦げるぞ。頭の上から煙が出ないと解らないみたいだ。
 外を見ろ!もうすっかり春の気配。駐車場の雪もあらかた解けてしまった。
 観測史上一番暖かい2月だとニュースで言ってた。

 僕は3月のはじめの日に電化製品に悪態をついている。
 
 去年まで使っていた炊飯器を捨てられずにいる。
 とってもアナログな炊飯器で(炊く)(保温)だけしかできなく、(おかゆ)(分づき)(玄米)(炊き込み)(煮沸コース)等といったことは一切しない。
 ただひたすら炊くだけ。
 それでも壊れないから買い換えるわけにはいかなかった。何も機能が付いていない機械はただ、ただ頑丈に作ってある。外側がみすぼらしくなっても傷む気配がない。もうそろそろ電熱線が切れてもいいんじゃないか、釜が裂けても、と思ってもがんとして言うことを聞こうとしない。このまま行くとあと30年くらいは持ちそうだった。
 80の僕がボロボロの炊飯器で飯を炊いてる情景が目に浮かび、たまらなくなった。それも黄色の炊飯器。昭和の骨董品。
 でもついに銅釜の炊飯器の誘惑に負けてしまった。済まないと思いながらもヨドバシで買ってしまった。
 最先端の炊飯器にはそこはかとない傲りみたいなものがあった。表示板を押すと色んなメニュウが出てくる。才能の誇示。実力も万全。何処にも落ち度はない。
 それなのに家庭電化製品という匂いがしない。色も抑えてあり、出来るだけ目立とうとしない様子が見えるのだが、それでも釈然としない。
 はっきりと言って可愛げだ。かわいげがない。
 黄色に緑の線が入っている前の炊飯器はものの見事に品がない。オーイ俺はここだよーと台所の隅で手を振っているような華がある。例えばだよ、例えば。
 炊飯器に華なんかあるわけねーべ。
 捨てようとして緊急避難的に、目障りだけど廊下に置いておこう。どうせすぐに捨てるんだから。と思って随分たつ。
 ゴミステーションに黄色の炊飯器が転がっているところを想像したら泣けた。
 まだ使えるのに、何も悪いことをしていないのに、まだまだ働けるのに。
 炊飯器が道路に転がってるのを想像して泣けるのは札幌広しといえどこの僕くらいなものだろう。大丈夫だってそんなに病んでいるわけじゃないから。
 毎日廊下に置かれた炊飯器を見ていると見え方が違ってくる。台所と廊下という違いか、それとも炊飯器のマジックか?(そんなものはないんだけどさあ)かわいげが出てくる。昭和の炊飯器。
 僕は炊飯器に育てられたんだなあと廊下の真ん中で思い知った。んーん。シュールで危険な香りのする文章だなあ。第一僕は炊飯器についてこんなにくどくどと書くつもりなんかなかったんだ。ものは大事に使おうといったようなことさえ書くつもりはなかったんだ。筆の勢いだよ筆の勢い。

 このパソコンとCDプレィヤーどうせなら爆発するとか力無く息絶えるとかしてくれれば諦めつくんだけれど。

 今ついているテレビのドラマで「君を愛する資格なんか無かったんだ。」というセリフが聞こえてきた。腰骨が少しずれた。

 もう一度プリンタ動かしてみよう。それでダメだったら舗道に転がそう。これは別に泣けないと思う。炊飯器とは歴史が違う歴史がね。


sasaki